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Evolving Tradition in Japan #5 梅若 幸子(うめわか ゆきこ)氏【前編】

「Evolving Tradition in Japan」は、伝統文化を担い次代に繋いでいく“人”にフィーチャーしたインタビューシリーズです。様々なジャンルの日本の伝統文化のトップランナーをご紹介していきますのでお楽しみください。

日本最古の演劇である能

竹村氏(JCBase):今回は、観世流シテ方能楽師で人間国宝四世梅若実さんの長女でいらっしゃいます梅若幸子さんにお話を伺います。650年以上続いている能楽を次の世代に伝えていくとはどういうことか、色々と掘り下げてみたいと思います。一般的に、能狂言とか世阿弥とか言いますが、本質的に能は何をもって能なのでしょうか?

梅若幸子氏:いきなり難問ですね(笑)
14世紀に世阿弥が成立させた猿楽と呼ばれている仮面劇で、650年間ほとんどその形式を変えず現在まで続いている日本最古の演劇が能です。文筆家でもあった世阿弥が、演劇書として風姿花伝を書いたのはシェークスピアより前の時代です。実は、日本が最初に世界無形文化遺産登録をする際に、ユネスコから何が良いかと聞かれ「歌舞伎が良い」と提出したらユネスコのトップの人が「いやいや日本には能があるじゃないですか」となって第1号に文楽と能が選ばれたというエピソードがあります。

梅若:能は様々な要素を持っている演劇なので、能を知っていくことで日本の伝統文化の様々な側面を知ることができると思います。ただ、肝心の日本人自身が日本の伝統文化から離れてしまっている。海外の詳しい方達より能を知らないというのが現状だと思います。

武士にとって身近な存在である「死を扱う」能の魅力

竹村:650年前に演じられていた演目やそこに込められた思想が、途中で変化している部分もあるかもしれませんが、歴史を超えて現代の人々が同じ風景を見ていると考えるだけでも凄いことです。650年の歴史のうち、江戸時代には大名、明治時代になると華族と呼ばれるような方々が、ある種の教養なのか趣味なのか、能を嗜みのひとつとしていたとも聞きますが、そのあたり実際はどうなのでしょう。

梅若:徳川幕府が能を武家の式楽(注:儀式に使う音楽や芸能)として定めたこともあり、江戸の武家社会で育まれてきた経緯があります。江戸よりも前には豊臣秀吉が能を舞ったという記録もあります。なぜ、このように武士の世界で能が重宝がられたのか。武士とって「死」はおそらく身近な存在でもあったはずで、一方で能は「死」を扱っているものなので、能を非常に身近なものに感じていたのではないでしょうか。

竹村:今の話に通じるかわかりませんが、能面然り、演者の所作然り、非常にシンプルで表現しすぎていないので、見る側のその時の気持ちや感情も含めて様々に解釈する余白があると感じます。逆に、演者の側からすると自分なりに表現したいという欲求をどのように持っていらっしゃるのでしょうか。

梅若:舞台という不自然な場所で不自然なことを自然に見えるように演じる。これが究極的で、それはつまり見えている風景をそのまま謡うことに通じていると思います。多分能楽師はそれを追求している人たちです。鑑賞において余白を埋める想像力は、齢を重ねた人たちの方が様々な経験をしているだけに妄想力が高いかもしれません。ある程度人生経験を積み重ねているからこそ、自分の妄想力で見えないものを見る楽しさを味わえるとでも言いますか。

竹村:なるほど。そういった経験やバックグラウンドを踏まえた能の楽しみ方の提案ができそうですね。

梅若:逆に、若い人たちには、ちょっとわからないけど空間が面白いとか、新しい発想につながる刺激が得られる「場」として機能すれば良いですね。でも、自分の時間を使って鑑賞する以上、基本的には「面白い」「つまらない」という素直な姿勢で良いと思っています。

竹村:コロナ禍においては余計に、素直な心で自分と向き合い自分を知る大切さにも繋がるお話だと思いました。

梅若:余白があるからこそ、時代が移り変わってもその時代その時代で新しい捉え方ができて、常に新しくあれるということかもしれませんね。

観世流シテ方・梅若家

竹村:梅若についても伺いたいのですが、能の諸流派があるなかで、梅若はどういった特徴があるのでしょうか。

梅若:観世流シテ方の梅若家は、明治維新で能楽が廃れそうになった時、初代の梅若実が岩倉具視と一緒になって近代能楽を復興させました。当時の観世や金春の家元と一緒に天覧能を行っていますが、本人は全面に立たずプロデュースに力を注ぎ、成功を収め能の復興につながりました。

梅若:もうひとつは、明治維新後の日本文化復興において、渋沢栄一や福沢諭吉など当時の財界人に連なるコミュニティ的な役割も果たしています。岩倉具視が海外視察した際にオペラを見て、日本にも能があるじゃないかと。実は「能楽」という言葉は明治にできた言葉でそれまでは猿楽と言っていました。

竹村:面白いお話です。それだけで別のテーマのインタビューができそうです(笑)

梅若:福沢諭吉は帝室論のなかで、日本の伝統文化の保存は皇室に任せるべきだと言っていて、諭吉個人は能楽にどこまで面白さを感じていたかはわかりませんが、残すべき価値があると考えていたわけですね。100年後1000年後に継承された文化を持っていることが、その国の力であるとまで書いている。

竹村:地球上で生物の種が絶滅するように消えていく文化は多いわけですが、今必要ないからなくしてしまって良いという考え方はどうなのかと思います。このインタビューの目的でもありますが、継承していくことの重みを、お話を伺いながらすごく感じました。

観客目線でプロデュースする梅若幸子さん

竹村:梅若家によるプロデュースのお話もありましたが、ご自身の活動をもう少しお聞きしてもよろしいでしょうか。

梅若:私は女性で、自身で能を舞うわけでもないので、ただの繋ぎ手にすぎないと思っていて、実は能に詳しいわけでもないんです。好きなところはとことん深堀しますが(笑)

梅若:数百年にもわたって基本的には同じものを受け入れつつも、そこに常に新しさを感じる日本の感性は凄いと感じていて。能楽にしても、同じ演目を「異なる人」「異なる時代」「異なる観衆」が、細かな機微のようなものを繊細に感じ取れる日本人だからこそ続いてきたものがあるかもしれないと思っています。その中で私は、能楽師ではなく観客目線で何ができるか考えるというのが基本スタンスになっています。あえて言えば素人の観客目線。ただ、長く触れているので最近それがやりづらくなってきていますが(笑)

竹村:そういう客観性をお持ちだからこそ、プロデュースをする際に様々な要素を取り込めるのかもしれませんね。ご自分の感覚に加えて、歴史や時代の感性も組み合わせてチャレンジングな取組みをされていらっしゃいます。

梅若:例えば、西洋文化と能とのコラボレーションでは、価値観を意識します。オペラであれば感情が音声で発露されますが能は違います。怒りや悲しみといった感情も能ではどちらかといえば身体の動きや舞台演出の空気感で表現される。西洋では号泣する場面で、日本では静かに泣くといった対比、表現の違いがありますが、悲しさという感情は共通しています。

竹村:喜怒哀楽は人類共通と思っていましたが、確かに表現の違いと根底の共通性があるわけですね。

梅若:西洋文化に限らず、能と何かをコラボレーションする際には、その共通する価値観を見出して掛け合わせる部分に一番時間がかかりますね。それができないと、演劇とか舞台としては成功しているようにみえて、ストーリーとして心に残るものに空洞ができる感じがします。

竹村:異分野を橋渡しするだけでは生まれない本質を突き詰めながら、一方で、分野の掛け合わせ組み合わせに時代の感性を取り込んで、六百年の伝統の中に新しいものを見出していく作業をされている。「時代に乗る」とも違い本質を失わず、むしろ時代を作っていく作業だと思いました。

梅若:共感は欲しいんですよね。なぜなら「舞台はお客様のもの」なのでそこは外せないです。コラボものだとプロデューサーの性格や好みが反映されるので、鑑賞に向き不向きは出てきます。普通のお能を観るときでも、ある流派で面白く感じなかった演目が、別の流派では面白く感じるかもしれない。謡は基本的にほぼ一緒なのに、こんなにも違う?という演目もあるので、異なる流派のものも見比べてみると良いと思います。演者による演目の解釈の違いも出ますよね。女性の無垢さを表現したいのか、感じ入っている女性を表現したいのかで、装束や面の選び方も変わってきますよ。

>Evolving Tradition in Japan #5 梅若 幸子 氏 (後編)に続く


対談プロフィール

梅若幸子(うめわか ゆきこ)

観世流シテ方能楽師の五十五世 梅若六郎(芸術院会員)の孫、玄祥(芸術院会員・人間国宝)の長女。能楽、クラシック公演の企画制作等、各分野とのコラボレーションを通して次世代にのこしたい音・言葉・舞などの無形文化を伝えるプロデュースや、日本文化に関わる講演活動を行っている。

竹村文禅

(一社)日本伝統文化協会会長。
現代、そして未来において、伝統文化が持つ価値をどのように見出し、次代に継承していくべきか。生活者の視点、企業人としての視点で、伝統文化の価値のリブランディングを目指し本協会を設立。

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