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Evolving Tradition in Japan #2 日本刺繍紅会 高橋 信枝(たかはし のぶえ)氏

「Evolving Tradition in Japan」は、伝統文化を担い次代に繋いでいく“人”にフィーチャーしたインタビューシリーズです。様々なジャンルの日本の伝統文化のトップランナーをご紹介していきますのでお楽しみください。

日本刺繍とは?

竹村氏(JCBase):本日は、日本刺繍紅会の副会長である高橋信枝さんにお越し頂きまして、お話をお伺いしていきます。そもそも、日本刺繍とはなんでしょうか?

高橋信枝氏:刺繍と聞いて、みなさんが思い浮かべるのはフランス刺繍ではないでしょうか。わっかの中に模様を刺していくのをイメージされると思います。主に呉服に施された絹糸や金糸などを使った刺繍が、日本刺繍と言えます。身近なものとしては、着物や呉服、それにまつわる小物などに日本刺繍が施されています。(参考:日本刺繍の技法

竹村:刺繍は意匠化された模様があるものでしょうか?

高橋:私の背景になっているのは、私が以前刺繍をしました帯の画像です。この帯には、日本の各時代の名物裂や刺繍の柄を裂取りの模様にして配してあります。江戸時代初期のころには、大変贅沢な刺繍の小袖や掛け袱紗が作られていました。この宝尽くしの模様は、徳川五代将軍綱吉公が季節の都度、愛妾お伝の方に贈ったと伝えられている掛け袱紗の柄です。また、その右上の小さな小花模様は、同じく江戸時代の慶長期に作られたた小袖の文様です。また、宝尽くしの左手にある、大らかな草花模様は、桃山時代に作られた、桃山小袖の文様です。その他には飛鳥時代の織物や、アイヌ民族の刺繍の模様も入っています。日本刺繍の歴史は錦織と同じくらいの歴史なので1000年以上前から存在しています。仏教とともに伝わってきて、仏様や梵字の文様を表した繍仏(しゅうぶつ)が盛んに作られていたそうです。時代とともに文様はだんだん日本化され、日本独自の文様が生み出されていきました。

竹村:漢字が到来して仮名文化が花開いた仮名文化のように、日本ならではのように変わっていき脈々と紡がれる歴史がまさに詰まっているのが日本刺繍であるのですね。まさにこの背景の帯はそういった伝統がぐるっと連なって現代までつながっている素晴らしい伝統そのものなんですね。例えば菱川師宣の見返り美人の浮世絵や鈴木晴信の錦絵などを見ていても、日本刺繍の柄が見てとれて興味深いですね。

高橋:まさに、浮世絵は江戸時代に花開いた文化ですよね。そこに描かれている女性がまとっている小袖が庶民にも花開いたのが江戸時代で、町人たちが憧れた「ひいながた」というファッションブックがありました。そこで様々に展開されていった柄が浮世絵に表現されています。寛文小袖や元禄小袖など、江戸時代の小袖は現在着物や帯を制作するのにも大変参考になります。

オートクチュール日本刺繍の醍醐味

竹村:図版みたいな、ファッションブックがあると仰いましたが。書物として残っているわけではなく、それがどう再現されているのか、具体的に教えてください。

高橋:当時はカラー印刷などなかったので、墨の線で描かれた「ひいながた」だけで。どんな生地色でどのようなデザインの文様を入れるのかは注文を受けた呉服屋さんが発注者と綿密に打ち合わせをしながら、オンリーワンの制作を行っていたと思います。それこそ、オートクチュールですね。パリのメゾンに夜会用の素敵なドレスを作らせるように、オーダーされていたことを想像してワクワクしますね。

竹村:当時の人々の息遣いを感じ、ワクワクしますね。

高橋:出来上がるまでにはかなりの時間がかかって当たり前で、二年とか短いくらいですから。日本刺繍は手仕事で機械を使いませんので、一針一針手間暇がかかっています。袋帯といって、正装用の式典などにしめるような格の帯を作ろうと思うと、慣れた職人さんでも数か月はかかります。デザインを構想するところから始まり、その待つ時間も楽しむという、今でいうところのファストファッションとは対極の位置にあるといえますね。本当にオートクチュールであり、代々受け継がれていく、そういうところに手仕事の工芸品の良さがあるように思います。

日本刺繍紅会とは

竹村:日本刺繍の紅会は、どういう活動をしたり、日本刺繍についてどのようにお考えかお伺いさせてください。

高橋:紅会は、1000年以上続く刺繍の技を研究し体系化した技法を生徒さんに教授し、後世に継承していきたいと活動しております。紅会『くれないかい』は1970年に発足して以来“日本刺繍の伝統の伝承”を合言葉に、千葉県東金市にある本部工房にて日本刺繍作品の制作に励むとともに、広く一般の方に日本刺繍を学んでいただけるよう日本刺繍の教科書などの出版活動や、工房で培ったプロフェッショナルの技を余すところなく学んでいただける教室を東京、大阪、名古屋、本部にて開催しています。

日本だけに留まらず、アメリカのアトランタなどにも拠点がございます。現在では日本刺繍実技講座がアメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、 南アフリカ、イギリス、フランス、ドイツ等14ヵ国で展開中。2000年にはニュージーランドのオークランドにて第一回世界展を開催、その後第2回2003年アメリカ ニューヨーク、第3回2007年イギリス ケンブリッジ、第4回2011年オーストラリア アデレードにて開催しました。

茶道、華道、武道など、日本には道(どう)とつくものが多いですが、繍道(ぬいどう)として、一人でも多くの人々と共有していくことを人生の仕事にしている世界中の講師陣により、繍道の輪は静かにそして確実に広がりつつあります。

竹村:縫道というお話がありましたが、ホームページに「手は精神の出口」というページがございますね。どういうことですか?

高橋:これは先代の会長で私の祖父にあたる紅会を創立した齊藤磬が記したものなんです。どういうことが書いてあるかと申しますと、手の奥に心や精神が宿っていて、鍛錬したものが手に現れてくるという考えです。ただ、美しい作品を作るだけが我々の目的ではなく、精神や心を整えたり深めることで、作品も深まっていくということを大切にしています。

竹村:浮世絵の彫師や摺師も個人の名前が立っていなかったように、日本刺繍の職人さんがいて作り上げられていくのも個人としてという範疇ではなかったということですね。単純に職人だけじゃなくて、精神の現れというある種の革命的なことを行われているのではないかなと感じました。

高橋:個人の名前を残すというよりも日本刺繍を文化として残したいという気持ちがあります。祖父も人間国宝のお話もあったのですが、個人の名前を残すためにやっているわけではないとお断りしたという話も残っています。それだけ精神を大切にしたのだなと思っています。

竹村:単純に技術や美しさを追い求めるだけではなく、精神性を追い求めることで、脈々と受け継がれる伝統工芸になっていく鍵になっていくのかなと感じました。道というものはそういうものなのかと、思いめぐらせました。

高橋:精神性というと凄く特異な感じがしますが、実は日本のオリジナリティだと思うんですね。茶道や華道などもそうですが、武士道の精神もビジネスに取り入れられていますよね。現代でもそういった精神性は非常に有効的だと思います。だからこそ、こういった文化が残っているのだと思います。表面的なものだけではなく、精神性というものを探求していくことを大切にしていくことが良いと思います。特に現在コロナ禍だからこそ自分を見つめたり、モノづくりをしたりという人間的な活動がもう一度見直されていて、取り組める時間を与えてもらっているんじゃないかな?と思っています。

日本刺繍の具体的なお道具など

竹村:実際に作品や、日本刺繍に使用される道具は、どのようなものか知りたくなってきました。

高橋:こちら、私が5歳の時から7年くらいかけて制作した練習帳のような刺繍です。花や三角形など段々難易度が上がっていきます。こちらをご覧頂ければ、子どもでも出来るということが分かっていただけると思います。どんな方でも「やってみよう!」と思って頂ければ幸いです。

高橋:そして、これに使われている絹糸が、よりがかかっていない「釜糸」と呼ばれています。一本の絹糸の中にお蚕さんが作る繭が約112個ほど入っています。更にこの糸を掌でより合わせて針に通して刺繍していきます。日本刺繍用の手打ち針を作れる人が現在日本でたった一人しかおりません。広島の女性の職人さんなんですが、最近息子さんが受け継ぐことになったそうでギリギリのところでした。不思議なことに、手作りしたものと型にはめて大量生産したものでは、使い勝手が全く異なります。一度はみなさんに試していただきたいです。竹村さんにもご体験頂きましたね。

竹村:誰にでもできると仰いましたが、実際やってみると結構難しく、あの幼少期の作品はどれだけ大変かと思ってみていました。乱れた花びらになってしまい、精神の現れというのが合点しました。自分が体験することで、その素晴らしさを頭ではなく体感で理解できるのが良いですね。一つ一つの道具においても、蚕を育てて糸を作る方がいて、和ばさみを作る方もいることも感銘を受けます。

高橋:伝来した時から、1200年以上継承される道具や手法がほぼほぼ変わっていないのです。この変化がない文化がどうやって残ってきたのかなと調べるも文献やアーカイブが残っていません。インターネットもある今こそ、こういう文化があるということを、より多くの方々にお伝えしたいと強く思うようになっています。

竹村:日本刺繍は私の中で伝統なのか、文化なのか、日常なんかが分からないことがありまして。江戸時代にはそれが日常であって日本刺繍という言葉さえなくて、工業化され敢えて日本刺繍や伝統文化と呼ばざるを得なくなってしまった現実というのもあるのではないでしょうか。今ここでもう一度、現代に生きる人たちが日常として取り入れられていくのはできないかと考えたりします。次世代にどうつなげていくかと考えているなかで、コロナではお教室は難しい状況ではあると思いますが、いかがですか?

<紅会お教室の様子>

高橋:コロナによってお教室に通うことが難しくなってしまった2020年は、危機的な状況に陥りました。その際動画を撮影してオンラインで配信することを始めたのが、非常にパラダイムシフトになったと思います。海外でもロックダウンの中でオンラインでの教室が開催されていることで、物理的距離を超えて取り組めるのは非常に可能性があると感じています。特に、着物を着ない生活様式に様変わりし、お出かけすることもなくなってしまい、どのように帯や刺繍小物をどうやって残していくかが課題となっています。しかし現実問題として、畳のない家も増えている現代においては、今の生活様式に合ったものをクリエイトしていく大切さを感じています。一人一人がアーティストとしてオリジナリティをもった人が増えていけば、伝統の伝承にもなっていくのではないかなと期待をしています。

竹村:伝統文化をやられている先生が仰ってましたが、「伝統は革新がないと続いていかない」ということですね。まさにお話を伺っていて、オンラインとかデジタル化というのは革新でしたね。マイクロソフトのサティア・ナディア氏が「二年分のデジタル革新を、我々は二ヶ月で経験した」と仰るほど、急変でしたが。急激にデジタル化が進んで、そこにちゃんとキャッチアップされましたね。大変だったとは思いますが、常にチャレンジされているからこそだと思います。これからもWITHコロナ、AFTERコロナを踏まえて、一般社団法人日本伝統文化協会もそういう方々を応援して、共感の輪が広がっていくことが次世代につながっていくのかなと思いました。オンライン教室もあるとか?

高橋:紅会では、毎年春のシーズンに東京、大阪、名古屋で全国展という発表会を開催してきましたが、去年は中止で今年は開催しますが人数を限らなくてはならないということで、お客様をお呼びすることが難しい状況ではあります。コロナ禍でも昨年は30名以上の方に入会して頂いている状況でしたが、自宅に居ながらオンラインレッスンを受けることが出来るように2021年の5月から日本刺繍のオンライン講座がスタートします。

竹村:どこでも参加できるのは有難いですね。本日はありがとうございました。


対談プロフィール

高橋信枝

日本刺繍紅会副会長。
紅会創設者齊藤いわおの初孫として1972年に東金市で生まれ、5歳から祖父より日本刺繍の手ほどきを受ける。1991年より紅会工房にて5年間の技術習得プログラムを経て、2000年に紅会副会長就任。東京、大阪、名古屋の教室運営の傍ら、海外での作品展のコーディネーターも兼務。
ウェブサイト / FACEBOOK

竹村文禅

(一社)日本伝統文化協会会長。
現代、そして未来において、伝統文化が持つ価値をどのように見出し、次代に継承していくべきか。生活者の視点、企業人としての視点で、伝統文化の価値のリブランディングを目指し本協会を設立。
ウェブサイト / FACEBOOK

日本刺繍紅会のオンライン教室がスタートしています!

日本刺繍紅会が提供する定期オンライン教室。ご自宅にいながら、パソコンやタブレット、スマートフォンで日本刺繍を学ぶことが可能です。
詳細は紅会のウェブページをご確認ください → https://www.kurenai-kai.jp/blog/class/onlineclass/

紅会のオンライン教室

書いた人

ルミコ ハーモニー
アーティスト。世界の様々な芸術に触れるにつれ、如何に日本の芸術が世界に影響を及ぼしているのかを実感。2019年末に「アートだるま展」を主催した際に、一般社団法人日本伝統文化協会の後援をきっかけに、日本伝統文化を学び始めた一年生。
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