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Discovery Tradition in Japan #05 柳内 麻貴(やない まき)氏

「Discovery Tradition in Japan」は、様々な形で伝統文化と関わりのある方にお話を伺うインタビューシリーズです。活動やその裏にある想いから伝統文化の輪郭に迫っていきます。ジャンルにとらわれずご紹介していきますのでどうぞお楽しみに。

竹村(JCBase:本日は、柳内伝統音楽・文化院の主催者、柳内麻貴様にお話を伺います。柳内様は国内での演奏・公演・指導だけでなく、海外でも精力的に活動されていらっしゃいます。日本の伝統文化と言いながら、堅苦しいものだけではなく、海外から見た視点など、様々なスタイルを取り入れた活動をされております。表面的ではない「日本の伝統音楽の真髄」を追ったご活動について、多様な視点でお話しいただければと思っております。

若い世代こそ馴染みのある「日本の伝統音楽」

柳内氏:柳内麻貴と申します。箏(こと)・三味線の演奏公演のほか、個人やグループを対象とした演奏指導や、大学で着物着付けや伝統音楽など日本文化の実技・講義授業もさせていただいております。

竹村:音楽だけでなく着付けもされているだけあって、本日も素敵なお着物ですね。お話にありました箏と三味線ですが、若い世代など馴染みが薄い方々もいらっしゃると思いますので、歴史的背景などどういったものなのかを教えていただけますか。

柳内:私が携わっている箏・三味線・尺八はよく“日本の伝統楽器”として一括りにされることが多いのですが、それぞれ伝来した時期・発展した時期・造られた時期などが異なり、歴史的な背景が実は違うんです。そこの部分は後ほどゆっくりお話しさせて頂きますね。 先程若い世代には馴染みが薄いのでは?とのことですが、実は2002年に中学校の音楽の学習指導要領が改定されまして、2002年以降に中学生になった子は必ず日本の伝統音楽に触れているんです。私も大学で教えながら実感していますが、私が毎期に受け持っている6クラス、総勢約180名のうち約8-9割が、今までに日本の伝統楽器を「触ったことがある」「聞いたことがある」と答えるようになってきました。戦後から私の父を含め日本の伝統音楽に関わる先人の方々が、長年文部科学省などと掛け合ってきた成果がようやく現れてきたのかなと思っています。

竹村:8割も日本の伝統楽器を触った・聞いたことがあるなんて、素晴らしいですね!

1トンの弦

竹村:ここでひとつ、箏がどういう音楽で、どういう音がするのか、実際に皆さんにも聴いていただきたいと思います。

(「さくらさくら」の映像)

柳内:日本人なら誰でも一度は聴いたことのある「さくらさくら」を、少しアレンジしています。箏はクラシックギターなどに近い構造で、中が空洞になっていて、その中で音が反響し、箏の下に空いている穴からと、絃(げん)自体からも音が響き出しています。そして、『箏を弾く』と聞くと多くの方々は“たおやかに”弾いているように見えますが、実はそうでもなくて。箏は13本ある絃の両端を、約1トンもの力でグーッと引っ張っているんですよ。なので弦を押したり弾いたりするのにも、結構な力が必要なんです。練習ではそこまでの力は不要ですが、演奏の本番で本気を出して弾くとなると、1曲でもう汗だくです。

竹村:1トン!インナーマッスルが鍛えられそうですね。

柳内:そうですね。腹筋、背筋に、太腿の上の筋肉がつきますね(笑)。

琴・三味線・尺八のルーツ 

竹村:そもそも、箏と三味線はいつ頃から始まったのでしょうか?

柳内:箏、三味線、尺八の3つをよく例に出させていただくのですが、日本の伝統楽器といっても先ほど申し上げた通りそれぞれ歴史が異なります。まず箏と尺八は、奈良時代の700年代に唐から伝わり、貴族の遊びや教養の一種として広まりました。

皆さん「なんだ、日本発祥じゃないんだ」と思われるかもしれませんが、実は日本独自の箏もあるんです。和琴(わごん)や大和琴(やまとごと)と言いまして、奈良時代に発掘された埴輪に、箏に似た楽器を弾いていた痕跡が見つかっています。この日本独自に発展した大和琴と、中国から渡ってきた箏の原型がミックスされ、今の箏に近い形になったと言えます。

初めは上流階級にて嗜まれていた箏でしたが、鎌倉時代になると武家やその子女など、権力者の“教養”として扱われるようになりました。さらに江戸時代になると、徳川家康により文化が花開くと共に、音楽的な要素が追加されていきました。今の箏の形状や、「調弦(ちょうげん)」と言ってピアノでいうところの調律技法が定まってきたのもこの頃です。

尺八も、鎌倉時代には有力な武士やお寺との関わりを強くしていきました。さらに江戸時代になると、普化宗という臨済宗の一派で特権階級を持つ禅宗が、“修行”として尺八を吹くようになります。仏教の修行のひとつに座禅がありますが、尺八を吹くことを吹禅(すいぜん)と呼び、尺八も楽器ではなく法器(ほうき)と呼ばれ、修行道具として普及していきます。そのため江戸時代では、一般庶民が尺八を吹いてはいけないとされていました。

3つの中では、三味線が最も歴史の浅い楽器です。三味線の原型が出てきたのは戦国時代。琉球(今の沖縄)から伝わり約30年ほどの改良を経て、江戸時代にようやく出来上がりました。

箏と三味線は関わりが深く、箏の継承者と三味線の開発者で「ちょっと合奏でもしてみようか」となったことがきっかけで、音楽性の高い「合奏」の分野が発展していきます。 以上が日本の伝統楽器の大まかな歴史になります。

竹村:なるほど、歴史が浅いとされる三味線ですら、400年もの歴史があるんですね。つい箏・三味線・尺八いずれも同じ伝統音楽の括りで見てしまいますが、尺八は吹きたくても一般庶民には許されなかったというのは興味深いですね。

柳内:そうなんです。例えば、農民が畑で尺八を吹いているのを通りかかったお侍さんに見つかってしまうと、「お前のような身分の者が尺八を吹いてはならぬ」と刀で切り捨てられることもあったらしいです。長らく身分の違う方が触っても吹いてもいけない楽器でしたが、明治時代に身分制度が廃止されて、ようやく尺八も入れた合奏ができるようになりました。

竹村:今我々が聴いている合奏が、昔の人は聴けなかったとは驚きです。

柳内:はい。ただまだ江戸時代は「誰でも教えてよい」という環境ではありませんでした。江戸時代には目の不自由な方が多かったので、これらの方々が仕事に就けず路頭に迷うことを心配した幕府が「当道座(とうどうざ)」という今でいう企業のような職業団体組織を作り、目の不自由な方々を所属させ、箏や三味線、按摩などを指導する権利を独占的に与えていました。“ただの趣味の音楽”とか“古臭い伝統音楽”と思われがちなのですが、歴史的に見てもその時代ごとに権力者の思考や政治や経済、他の文化と非常に深く絡み合いながら日本の伝統音楽は成長してきました。

日本における音楽に対する姿勢

竹村:柳内さんが伝統音楽の素晴らしさに魅了されたのは、何かきっかけがあったのですか?

柳内:父が箏・三味線・尺八の家元・演奏家・作曲家でもあり、母も箏の指導者ですので、ありがたくも生まれた時から箏と三味線、尺八が家中で響いていた環境で育ちました。中でもきっかけは高校~大学のドイツ留学ですね。ドイツは音楽がとても盛んで、かつ国民全体がクラシック音楽に対するリスペクトもすごく高い国で、カルチャーショックでした。ヨーロッパのクラシック音楽=日本では伝統音楽なわけですよね。都市部も地方でも誰でも気軽に音楽を聴きに行く文化が日常的にあるんですよ、都会の駅の構内では弦楽器のカルテットが始まっちゃったりとか。しかも何気なく弾いているその音楽的なクオリティがとても高い!国民が持つ音楽に対する“価値観”や“意識”が、日本とドイツでかなり違うと驚きました。かつ皆さん、クラシック音楽を奏でるストリートミュージシャンに対してもリスペクトを持って接していたり。

日本だとどうしても“クラシック”とか“伝統音楽”を斜に構えてしまうような、敷居を高く感じている風潮がありますが、ドイツでは国民が伝統音楽に対して『音を愛でる』『音に敬意を払う』というような雰囲気や意識が浸透していることに感動しました。それがとても素敵に感じて、日本の伝統音楽に携わる両親と「ドイツと比べて、なぜ日本は伝統音楽に尊敬の念を感じたり、愛する文化じゃないんだろう」とよく話していたのを覚えています。もちろん日本でも音楽を愛する方は大勢いらっしゃいますが、 国全体で見ると日本の伝統音楽は廃れてきてしまっていると言えるのでは、と思います。

大学卒業後は、まずはドイツで学んだ環境政策に関わる仕事に就きました。幼い頃から『報道』や『社会問題』にも興味を持っていて、音楽を通して様々な社会問題を考えるプロジェクトを実施したくて外資系の音楽TV放送局に転職しました。自然環境・ HIV/AIDS・人身売買・選挙など色々な角度の社会問題を多くのアーティストの協力を得てプロジェクトを実施しました。そしていわゆる“いまどき”の音楽番組の制作や音楽イベントの仕事をして、番組や音楽のプロモーションでJ-POPから洋楽と様々な音楽を扱っているうちに、ある時ふと「社会やビジネスで培ったこれらの経験を生かして、伝統音楽や文化の分野で頑張ってみたい。」と思いました。『日本伝統音楽や文化の衰退』は日本の社会問題ですから。それまで『社会における会社員』と『伝統文化を引き継ぐ者』として二足の草鞋でやっていましたが、日本の伝統音楽や文化に注力できるように方向転換をしました。

教養としての伝統音楽

竹村:

ドイツでの体験やメディアの世界で、日本の音楽を改めて客観的に見つめたことがきっかけだったんですね。伝統音楽を外で弾いても許されるし、それを周りも楽しめる。これが叶うと、日本の伝統音楽が現代の音楽とつながって、日々の生活に浸透していくかもしれませんね。 ところで、柳内さんのレッスンに通う生徒さんは、どういった方が多いのでしょうか?

柳内:箏・三味線・着物着付けを教えていて、幼稚園生〜私と同じ年齢層の方々まで幅広いです。日本在住の海外の方もいらっしゃいます。学校の先生、アパレル企業、国際企業、金融系、大使館、飲食企業など多種多様なバックグラウンドをお持ちの方々です。「なんとなく、素敵に感じて憧れてやってみたくて!」と言う方もいらっしゃれば『昔ちょっとやったことがあって、今になってから再度チャレンジしたくて』と言う方も来られます。

柳内:ただ音楽を楽しむだけではなく、教養の広がる場となるよう心掛けています。レッスン後に気楽におしゃべりする際には、その方に合いそうな他の日本文化や、着物の簡単な着付け方など、日本伝統文化全般に関する知っている知識をお話しするようにしています。それがその方の何かしらの教養となり、社会生活を支える一部になれば嬉しいです。

竹村:確かに、音楽をきっかけに「せっかくだから着物も着てみよう」だとか、いろんなところが広がって教養になりそうですね。 

柳内:音楽自体から得る教養もありまして、箏って先ほど聴いていただいたみたいに、絃の音の響きが結構伸びるんですよね。なので1人で弾いていると、その世界に陶酔というか、結構入り込めるんです。いい音を出そうとか、こんな感じで弾きたいと模索することは、自分と対面する・自分自身を知る時間なんですよね。イライラしているとトゲトゲした音になるし、心に余裕があるとゆったりとした響きを感じられたり。音はとっても素直です(笑)自分がどうなりたいかを知るために自分自身と向き合う時間は、ビジネスでもすごく大事だと思います。生徒さん方も「弾いてたら2、3時間経っちゃいました」「仕事の後に練習してたら深夜でした」と仰るのですが、自主練習が自分を無にする時間になるという意味では、箏ってすごく面白いと感じますね。

柳内:合奏は合奏で、また別の教養があると思います。合奏となると今度は、協調性が求められるんですよね、これもビジネスに通ずることですけれども。相手の音を聞いて自分の音を出すという、言葉ではなく音でのコミュニケーションなんです。人の音を聞くことは、人の話を聞くのと同じように、協調性が鍛えられると思います。

竹村氏:生徒の皆さんは音楽を習いに来ているんじゃなくて、音楽を通じた生き方まで習いに来ているのですね。

日本文化と異文化のコラボレーション

竹村:合奏の話がありましたが、柳内さんは日本の伝統楽器の合奏だけでなく、洋楽器や洋楽とのコラボや、海外公演もされていますよね。柳内さんの最近のご活動を、少し教えていただけますか?

柳内:若い頃はいろんなチャレンジをしたいと思って、それこそ10代20代の時はクラブに箏を持ち込んで合わせたり、音楽ガンガンのライブハウスで箏のフュージョンを流しながら、着崩した着物のファッションショーをしたりしました。今は和太鼓やギター、ベース、パーカッション、ピアノ、フルートなどあらゆる楽器とコラボレーションをしています。ともすればちょっと敷居が高いと感じる日本の伝統音楽を、普段接点がない方々にも触れていただきたいなという思いで、こういった活動をしています。

竹村:日本の伝統を理解してもらう、というよりは、純粋に音色や音楽性を楽しんでもらえるような場をいろいろ提供されているということですか?

柳内:そうですね。ただその際、若い頃に散々いろんなことをやってきた反省も含め、弥生時代から続く日本の伝統音楽文化の品性や趣きを穢さないように心掛けています。着物にしても音楽にしても、「品性」は保ちたいなと思っているんです。高飛車で嫌味な品性ではなくて、“スマート” “たおやか” “優美”とも表現されるような、ジェントルマンやレディーが嗜むような、身につけていると損しない品性も皆さんにお伝えしたいなと、どちらの分野でも思っています。

竹村:音楽として楽しむ、は入り口としてはすごく入りやすいですが、柳内さんの柳内伝統音楽・文化院では、これに加えて今「品性」と表現されました、日本文化の裏にある精神性も強く意識されていらっしゃるんですね。

柳内:何事も楽しくないと続かないと思うのですが、歴史など裏にある意味を知らないと、続けていても中身がなくなってしまうんですよね。この二つのバランスが、すごく大事だと思っています。

竹村:なるほど、伝統の良さはそこにあるのかもしれないですね。

柳内:私自身もまだまだ 成長過程だと思っているので、トライアンドエラーの繰り返しです。一昨年、和太鼓、ギター、ジャンベ、パーカッション、ベース、キーボード、サックス、ボーカル総勢13名でライブを開催したのですが、これもまた1つの良い経験でした。 箏はどうしても電子楽器や打楽器に音量的に敵わないのですよ。どうやって箏の音色を生音の響きに近いようにマイクを通して出すかは、やってみないとわかりません。リハーサルの音と本番の音が全く違うこともありますし、それに箏は木材の部分が周りの環境に左右されることも多く、屋内か屋外か、前日に雨が降ったか、気温は何度か、照明の当たり方によっても響きが変わってきます。指導させていただいてる立場ではありますが、私自身も日々勉強中です。

竹村:チャレンジってすごく大切であり大変ですよね。一言でコラボと言っても、裏側は相当大変なんでしょうね

柳内:それはビジネスも然りだと思いますね。日常生活に溶け込まないと広がらないし、チャレンジしないと新しいものが生まれないのは、ビジネス・音楽どちらの分野もそうだと思うんです。自分の勇気と行動力がどこかのタイミングで必要になってくるのだと思います。

伝統を日常に取り込むこと

竹村:柳内さんが伝統音楽の素晴らしさに回帰されたのは、やはりお父様の影響が大きいのでしょうか。

柳内:実は父は、40年以上前に既にフルオーケストラと尺八と箏の楽曲も作曲しているんですよ。今80代の父は、「僕は生まれるのが早すぎた」とよく言っています(笑)。伝統の世界は固執した考えの方が良くも悪くもまだ多いので、当時は相当な異端児として扱われたらしいです。父は箏と尺八を持って飛行機に飛び乗って、現地の楽器とコラボレーションしながら世界を廻るような人でしたので。今でこそ私も様々な楽器とコラボレーションしておりますが、当時はギターやドラムと合わせるなんて、型破りな人だと揶揄されるようなこともあったようです。

竹村氏:お父様、かっこいいですね!

柳内:伝統文化・芸能は箏にしても着物にしても茶道にしても、歴史と共にそれぞれの時代で変化してきています。“変えてはいけない”とそれぞれが思う軸や信念、基本的な部分はブレずに、その時代のニーズに合わせる部分も必要であると思いますし、過去に固執だけしていると、いいものも残らなくなってしまうと思うんです。

柳内: 私も今まさに取り組んでいますが、これは仕事と同じでトライアンドエラーなんですよね。「この楽器とは合うね」とか、「こういう新しい方法もあるかも」だとかは、やってみないとわからない。さらにそれが良いものかどうかは聴く人が判断しますので、客観的な判断を取り入れたりと、色々試している最中です。

竹村:先程の「品性」のように、変えちゃいけないものと、時代に合わせ変えるべきというか変わらざるを得ない部分があるんですね。これらを組み合わせながら、柳内さんやお父様は今と次の時代につなげていく活動をされていらっしゃるんですね。

柳内:私がやっていることは、全体の歴史の中で見たら本当に些細なことです。ですがそれをきっかけに、例えばお弟子さん達のものの捉え方や生き方が変わったり、大学で教えた学生達に「なんか日本の楽器いいかも」と思ってもらえたり、留学生の方たちに「日本を知れてよかったです」と言ってもらえたらいいなと思っています。まだ日本の伝統文化の魅力に気が付けていない方々にとって、私自身が日本の伝統音楽や文化を知る「きっかけメーカー」になりたくて、演奏活動や講演、イベントに出たり様々な学校などで教えたりと幅広く動けるようにしています。 

竹村:伝統音楽の良さを自分の日常生活に取り込むことを意識されていらっしゃるんですね。それこそ音が新鮮だとか、所作が綺麗だとか、場合によっては着物着てみたいなとか、いろんな角度で触れてみると。

竹村:昔からある曲をただ弾くのではなくて、時代に合わせ変化にチャレンジしながら、今の世代と一緒に次に繋げていく。視聴者の皆さんも今日で伝統音楽のイメージが相当変わったのではないでしょうか。最後に、今後どういった思いで次世代に繋げる活動をされていくのか、お聞かせいただければと思います。

柳内:伝統音楽とか伝統文化というと敷居が高いと感じるかもしれませんが、「文化」とは堅苦しいものではなく、今の生活そのものだと思います。生活と同じく、昨日はもう過去の文化。この積み重ねで今の伝統文化があるので、ぜひ伝統文化を遠い存在と思ってしまわないで、「ちょっとやってみようかな」とか、「楽しそうだな」という気持ちで触れてみていただきたいです。自分に合う合わないの判断は触れた後でも良いと思うんです。そこでフィットすればすごく面白いと思いますし、違ったら「他を探してみよう」でも良いと思います。ぜひ色々なトライアンドエラーをしていただいて、その中に日本の伝統音楽という選択も入れていただけると嬉しいです。


対談者プロフィール

柳内 麻貴(やない まき)

生田流箏曲師範/柳内伝統音楽院主任教授/「調風合奏団」主席奏者
国士舘大学21世紀アジア学部教員/青山きもの学院師範

早稲田大学社会科学部卒。高校・大学時代にドイツへ単身留学(ボン大学地理学部)。3歳より生田流筝曲を、18歳より地唄三味線を父である家元:柳内調風氏に師事。環境分野の財団法人勤務を経て、CS・TV放送局であるエンタテインメント企業に勤務。2016年に退職し独立。
国内外での演奏公演・講演も多数おこない、DJや洋楽器など様々なジャンルの楽器や、アート作品等とも共演を積極的に行い和楽器の伝承・普及に努めている。着物文化にも精通しており、着付け技術指導だけではなく、着物の歴史や豆知識なども伝承。2018年に柳内伝統音楽・文化院を開設。

竹村文禅

(一社)日本伝統文化協会会長。
現代、そして未来において、伝統文化が持つ価値をどのように見出し、次代に継承していくべきか。生活者の視点、企業人としての視点で、伝統文化の価値のリブランディングを目指し本協会を設立。

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