文化財・社寺修復を手掛ける塗師の旅烏によるコラム長期連載です。シリーズタイトルは「旅がらすの日曜日 ~社寺修復塗師の街並み散策日誌~」。様々な季節、日本各地の街並みを探訪、古の遺構にも目を向け、社寺修復塗師ならではの視点で綴っていきます。肩の力を抜いてお楽しみいただければ幸いです。
街角に積まれた時代の記憶 ―愛知県常滑市―
愛知県瀬戸市で毎年数十万人が詰めかけるせともの祭りが開催されている最中、敢えて人混みを避け愛知県もう一つの焼物の町、常滑へと向かった。初めて出向いたこの町で出会ったのは、どこか儚くも心に染みる懐かしい原風景だった。
常滑といえば、陶磁器に詳しい方であれば、自然釉のかかった雄々しい壺や甕の様な常滑焼を思い描くかもしれない。もしくは今も尚有名な、朱泥の急須を連想するだろう。実際、常滑焼は瀬戸、備前等と並ぶ六古窯の一つで、平安末期の経塚壺に始まり室町時代に入ると生活用の壺、甕、鉢。一度廃れるも江戸末期に朱泥焼の登場と登り窯の導入により茶器を中心に復興し現在に至った歴史がある。
壁一面、土管や焼酎瓶が整然と積み上げられた景観に高揚を隠せない。元々丘陵地の斜面に穴窯を掘り焼物を焼いてきたこの町は細い坂道の連続である。斜面の土留めや地面の滑り止め、家の土台から塀に至るまで、土管や焼酎瓶、ケサワやダンマ、パンといった窯道具の廃材などが丁寧に積み上げ、敷き詰められている。
明治初期割れにくく丈夫な真焼陶管を編み出した常滑の祖、鯉江方寿。鉄道整備による水路連結の土管製造を皮切りに上下水道や農業用水路と、既存の窯では生産が追い付かない程大量かつ精度の高い土管の生産が始まり、全国各地へ海路で運ばれた。土管生産は公共事業が主な為、規格が決まっており検査も厳しい。一等品、二等品、三等品、等外品と分けられ、出荷することの出来ない等外品は町の人達自ら土留めや塀にと積み上げた。