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旅がらすの日曜日 ~社寺修復塗師の街並み散策日誌~ 孤独のグルメ的に名古屋 納屋橋宮鍵から大須

文化財・社寺修復を手掛ける塗師の旅がらすによるコラム長期連載です。シリーズタイトルは「旅がらすの日曜日 ~社寺修復塗師の街並み散策日誌~」。様々な季節、日本各地の街並みを探訪、古の遺構にも目を向け、社寺修復塗師ならではの視点で綴っていきます。肩の力を抜いてお楽しみいただければ幸いです。

たまには何か旨いもんでも食べたいと思って、納屋橋の宮鍵に鳥すきを喰らいに行ってみた。

宮鍵はかの池波正太郎が名古屋に来た際よく訪れた様で、自身のエッセイ「散歩のとき何か食べたくなって」の「名古屋懐旧」にてこの様に触れている。

「散歩のとき何か食べたくなって」

納屋橋の鳥や[宮鍵]へも、何度、足を運んだか知れない。
むかしは、いまのようにメニュウも多彩ではなく、二階の入れ込みの衝立で仕切った一角へすわり込み、鳥のすきやき、白煮で酒をのんだあと、鰻丼の一つぐらいは軽く腹へおさめてしまったものである。[宮鍵]も諸方へ支店を出したりはしていないようだ。
私は、戦災で焼け果てる前の名古屋もよく知っているが、納屋橋を東にわたって、南へ入ったあたりには、焼け残った古い名古屋の町なみが残ってい、そのあたりの小さな宿屋に私は泊まっていた。その宿屋を出て、宮鍵へ入るとき、ふと、戦前の名古屋にいるような気分になったものだ。
[宮鍵]も、いまは改築してしまったが、表構えはさておき、二階の入れ込みの大座敷などへ入れば、むかしの気分がないものでもない。

自分も、池波先生と同じ”寿きやき”を注文した。仲居さんが全てやってくれる。絶妙なタイミングで戻って来てくれるので、自分のペースで酒を呑みながらやってればいい。三河地鶏は名古屋コーチンほどの弾力はないが、適度な歯応えと旨味が強い。鶏の旨味を味わうにはすきやきかしら炊きが良いのかもしれないが、周りを見ると”みそすき”を食べている人が多い。ここは名古屋。やはりそちらが主流の様だ。池波正太郎はチャキチャキの江戸っ子だから、味噌煮込みはあまり好まなかったのだろうかと思いつつ、今度はあれにしてみようなどと思う……。

すきやきだけで腹は膨れてきたが、〆にきしめんを頼んだ。池波先生は鍋の後に軽く鰻丼を食べたというからやはり食いしん坊だなと思う。きしめんはやはりみそすきの方が合いそうだ。鰻丼は確かに欲しいところだった。

満腹になったところで納屋橋を渡り、ずいぶん前にもこの場所で写真を撮ったことを思い出しながら、また柳と加藤商會のビルを収める。ここら辺が何となく好きなのである。名古屋城の外堀であるこの堀川、当時の開削奉行福島正則の福島家家紋が橋の欄干に残されている。

川沿いに目をやると、桜らしきものが咲いている。近づいて見るとやはり桜である。二度咲きの桜、いわゆる冬桜というやつであろうか。ほんのり幸せな気分になった。

川沿いを下り大須に向かう。大須演芸場に行けば寄席のひとつでもやってるかと思ったが、月の後半は何も無いようだ。大須は不思議な街である。一度だけ来たことがあったが、すっかり忘れていた。大須観音の門前町であるから、一見浅草の様な雰囲気であるのだが、古着屋やかわいい雑貨屋があったり、さらに電脳街、なんだかよく分からない多国籍感も存在する。年齢、性別、国籍問わず人が集まっている。浅草にアメ横と秋葉原を足した様な具合? 大須のHPを見ると”ごった煮”と書いてある。納得!

元々一度シャッター街になりかけた商店街だが、かつて学生を中心とした「アクション大須」というスローガンで行われた街興しが実を結び今の大須の賑わいがある。自分も大学時代”住民参加のまちづくり”というテーマでゼミの活動をしていたので、このことは捨て置けないのだが、またいずれ別の機会に。

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