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旅がらすの日曜日 ~社寺修復塗師の街並み散策日誌 鎌倉(中編)

文化財・社寺修復を手掛ける塗師の旅がらすによるコラム長期連載です。シリーズタイトルは「旅がらすの日曜日 ~社寺修復塗師の街並み散策日誌~」。様々な季節、日本各地の街並みを探訪、古の遺構にも目を向け、社寺修復塗師ならではの視点で綴っていきます。肩の力を抜いてお楽しみいただければ幸いです。

鎌倉の寺には、京や奈良の寺院の様な大伽藍や名庭は少ないが、周囲を取り巻く山襞の谷(やつ)と呼ばれる湿地にあって、苔むした石段や低木の草花、地形をいかした庭に山の岩肌を掘ったやぐら(武士の墓)や洞を持つ、素朴で味わい深い寺が多い。
“花の寺”とも呼ばれるこの瑞泉寺も、そんな谷(やつ)の奥に位置し、四季折々の顔を見せてくれる。

山襞の谷(やつ)

余談だが、鎌倉辺りでは「谷」を「やつ」と読む。今でも扇ヶ谷(おおぎがやつ)などの地名として残っているが、これはアイヌ語で湿地を意味するヤチから来ているとする柳田國男説や常盤国風土記の夜刀ノ神(やとのかみ)からという説など様々だが、はっきりしていない。垣で囲った集落を意味するカイト(垣内)地名とも言えるがその辺はマニアックなのでまた今度。

大塔の宮を右に折れ、道なりに行くと、この辺り二階堂の地名の由来となった永福寺(ようふくじ)跡を左手に、さらに奥へと紅葉ヶ谷(もみじがやつ)を登っていく。しばらくすると小さな外門に辿り着くが、本堂はまだ先の山に見えている。この山は、寺の背後に広がる紅葉が錦の屏風の様に美しいことから錦屏山(きんぺいざん)と言う。

また少し進むと道がふた手に分かれる。男坂、女坂というやつだ。当然、杉木立の方の半ば磨滅しかかった石段を登りたくなる。登った先の山門をくぐると本堂の前は様々な草木で埋め尽くされ、この時期は白の芙蓉が綺麗に花を付けていた。

本堂裏へ回ると、この寺を開山した夢窓疎石禅師の造った庭があるが、これは庭石や燈籠などの全くない「引き算の庭」とも呼ばれる岩庭である。鎌倉石の岩肌を掘って造られた洞(ほこら)で座禅を組み、池に映る月を観て瞑想に耽る。これこそ禅の境地である。

さらに夢窓国師は池の橋を渡り岩山を登った頂に偏界一覧亭と名付けられた小亭を建てた。ここからの眺望は箱根の山々と霊峰富士を背景に相模湾を池に見立てた借景の大庭園と言える。山の佇まい、海の佇まいと付き合いながら心を磨く修業の為に造られたこの庭で、国師は何を思い、過ごしたのだろうか。今は非公開となっているが、是非とも行ってみたいものである。

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