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Evolving Tradition in Japan #4 上田宗箇流 上田 宗篁(うえだ そうこう)氏

「Evolving Tradition in Japan」は、伝統文化を担い次代に繋いでいく“人”にフィーチャーしたインタビューシリーズです。様々なジャンルの日本の伝統文化のトップランナーをご紹介していきますのでお楽しみください。

武家のお茶、上田宗箇流

竹村氏(JCBase):日本伝統文化協会が3周年を迎えるということで、アドバイザーをしていただいている茶道上田宗箇流の家元若宗匠にお話を伺います。茶道をご存知ない方は勿論、茶道を知っている方でも上田流はご存知ないという方もいます。まずは茶道や上田流のお茶といったところからお聞きできればと思います。

上田宗篁氏:上田宗篁(そうこう)と申します。茶道上田宗箇流(そうこりゅう)の人間です。上田宗箇流という流儀の特徴をひとことで言うと武家茶道ということになろうかと思います。明治以降、武家自体がなくなりましたので、必然的に武家文化とともに茶道文化を継承して伝えていくという役割が大きくなってきました。

竹村:お茶で一般的に思い浮かべるのが千利休です。利休は、堺の商人ですが、武家文化を継承していらっしゃるということで、何か特徴的なことはあるのでしょうか。

上田:簡単に言うとお茶をたてる点前(てまえ)の動作などに、武家の価値観を持った動きが残っているところでしょうか。あとは武家ですので、甲冑とか槍といった武具が残っています。

竹村:武家として、江戸時代以前から平成、令和と続いていますからどれくらいになるのでしょう。

上田:流祖誕生からですと400年以上になります。広島が本拠地になります。

竹村:1つの流儀として400年続いているだけでも凄いなと思います。お茶というと、いわゆる大寄せで大勢が集まって行うお茶を想像するんですが、400年前の大名のお茶はどのようなものだったんでしょうか。

上田:上田宗箇の場合は、広島藩の浅野の殿様に付き従って広島に入ってきたんですね。その殿様が上田の屋敷にいらっしゃる、俗にいう殿様の御成り(おなり)ですね。その御成りの中にお茶の要素が入ってきたりするので、そういう意味では普通のお茶席とまたちょっと違う趣きもあるかと思います。ただ、現代になってからは他の流儀とお茶としての活動的にはそこまで大きくは変わらないと思います。

竹村:ではやはり、お茶の作法の中に、いわゆる武家としての精神が組み込まれているというのが、大きな特徴ということなんですね。

上田:そうですね。他のお流儀さんとの違いで言えば、そこが一番わかりやすいかなと思います。

竹村:今見せていただいている和室、もっと言えば和風堂の建物自体が特徴のひとつでもあるかと思います。私も2年前に開催された和風堂公開の特別茶会に伺わせていただいたんですけれども、本当に面白いと思ったのは、殿が入る入り口とお付きの者が入る入り口がそもそも分かれていて、お付きが入るところはにじり口から頭を下げて茶室に入るんですね。その実物を見ただけでも、なるほど茶室にも流儀の特徴がすごく出ているというのを感じたことを思い出しました。

上田:今の和風堂、俗にいう本家ですね。その上田家の屋敷が広島城内の敷地にあったときの古い絵図が残っていまして、それを元に今の敷地に建物の構成を再現しました。もちろん土地の広さが、もう今と比べ物にならないくらい広かったので縮尺は全然違うんですけれど、建物の構成自体は当時と同じです。大きな渡り廊下があり、それを境にして、片方は書院屋敷で武家の文化、もう片方は和風堂といって茶の空間になる。お茶の舞台になる茶室、建物という点でも上田流の特徴と言えるかと思いますね。

竹村:私が伺った2年前は、上田宗箇広島入国400年記念事業の和風堂特別公開ということで、翌年も開催があったのですが残念ながらコロナで中止になってしまいました。定期的に和風堂の公開はされているのでしょうか。

上田:公開は節目の時に行っています。和風堂は、景勝地の様な常設オープンの施設ではないので、広く一般にどなたもご参加できる行事となると、節目の何年かに一度に開催される特別公開事業になります。

竹村:とても貴重な機会に参加させていただいたということが改めてわかりました。

上田:400年記念事業は、一昨年、昨年、今年の公開でひとまず終わりの予定だったんです。そこからまた5年10年空けてまた何かをという大きな計画ではあったんですけれど。そういう意味では良いタイミングでしたね。

竹村:お話をしながら記憶が蘇ってきたのですが、若宗匠がまさに今いらっしゃるお部屋にお道具がずらっと並べてあって、美術館のようにケースに閉じ込められて展示されているわけではなく普通に置かれていたんですが、300年400年続いているお道具があそこに並んでいたんですね。

上田:その時々の企画にもよるんですが、基本的には上田家に伝来をしている道具が使われます。企画によっては、出雲の櫻井家や岩国の吉川家など、共催するお家の道具をお借りすることもあります。櫻井家との企画は2020年にコロナで中止になってしまい残念でした。

竹村:お茶の楽しみ方は、お茶室やお道具、五感で空間を楽しむこと、お茶を美味しくいただくことなど様々ですが、お茶されていない方にもわかるお茶の楽しみ方のポイントは何でしょう?昔と今、時代によっても違うかもしれません。

上田:難しい質問ですね(笑)例えば1人食事をすると2万円ぐらいのめちゃくちゃ美味しい料理屋さんがある。でも今はカップラーメンがうまい!というときありますよね。それにすごく近くて、和風堂の特別公開は、非常にクラシックでトラディショナルな位置づけになります。上田流の屋敷で、上田家が伝えてきた古文書を元にした時代背景と道具組で茶会行事を行い、伝来道具をお見せするだけでなく、実際に使いながらお茶を召し上がっていただく。超非日常のタイムスリップしたような感覚が体感できるのが、先ほど言われたように五感で味わうことができる体験型博物館と同じ感じだと思うんです。片や、家のリビングで仲が良い人と3、4人で、骨董屋で手頃に手に入れた道具でちょっと集めまってお茶を飲む。それぞれ、色んな楽しみ方ができるのはいいところかなと思います。

竹村:お茶の中興の祖といわれる三井物産創業者の益田鈍翁(どんのう)が、鈍太郎という黒楽茶碗を手に入れて鈍翁と号するようになったというエピソードがありますけれど、別にそれは値段ではなくて自分自身が何か良いものを手に入れたり、それを誰かに見せたいとか、お茶を介してコミュニティを作っていくような時代を超えても続いていくことが本質的な楽しみ方なのかもしれないですね。

上田:そうですね。自分の中でおもてなしをしたいと思う気持ちと、お道具組とその「場」があれば、お茶を使ったおもてなしの空間が成立するので、立派な茶の湯だと思います。

お茶への入り方、接し方

竹村:お茶に興味が湧いてこれからお茶を始めようという人に、何かアドバイスのようなものはありますでしょうか。お茶を全く知らない人はさすがにいないと思いますが、少なくとも家の中に畳が無い家は増えていますし、コロナ禍でお茶会の機会も減っているかと思います。

上田:伝統文化をやっている方みなさんが悩まれていて、その答えを今ここで出すのは難しいですが、2通りの考え方があると思っています。1つは、日常自分がしないことをしてみることの喜び。もう1つは自分が普段でやってる生活や行動の延長から繋げていくやり方。

竹村:つまりどういうことでしょう。

上田:たとえば、着物を着るのはお茶や日本文化に携わっていないと非日常体験ですよね。だから、着物を着て何もわかってなくても分かったような顔をして、それっぽいところに行ってみる。知らないからとか恥ずかしがることなく、そういう普段しないような格好をして、普段行かないようなところに行くだけですごく貴重な経験になると思います。最初は、お茶席でなくても良くて、観光地で着物を着てお抹茶を飲んで帰ってくるだけでもいいと思うんです。そういう行動をしているうちに、多分人それぞれ興味が出てくるところが変わってくる。そこから自分なりに深掘りをしていけばいいんじゃないですかね。

上田:お抹茶を飲むための器をひとつ作ろうっていう入り方でも良いと思うんですね。陶芸って別にお茶に興味あってもなくてもやるじゃないですか。陶芸自体が面白くて、めちゃくちゃ集中できるし。できあがったものでお茶をやっていなくても食事用のお皿だったり湯呑だったり、自分がお酒飲む器だったり、できあがったものに愛着が出ますよね。すごく気に入ったものができたら、その器で誰かにお茶を点ててあげたくなると思います。それが家族であっても良いし、友人であっても良い。そういう自分の行動範囲から大きくはみ出さないところから、少しずつお茶につなげていくやり方もあるかなと。こうって決める必要はあんまりないと思います。

竹村:先ほど五感で楽しむという話がありましたが、そういう意味ではただお茶が美味しい、器が美しい、お点前がきれい、入口は何でもいいんだよっていうことなんですね。

上田:建築からお茶に入ってくる方もいらっしゃいますし、歴史が好きで入ってくる方いらっしゃいます。

竹村:へうげもの(ひょうげもの)という漫画がありますけれど、まさに若宗匠はその主人公の子孫でいらっしゃるわけですからね。漫画を見て興味を持つ男性も多そうですね。

上田:切り口が多いというのは上田流にとっては大きいアドバンテージだとは思います。

竹村:実際、上田宗箇流に触れたい楽しみたいという人は、広島が本拠地ですから広島中心なんでしょうか。東京でも可能なんでしょうか。

上田:広島は勿論ですが、東京のほか県外ですと岡山、山口、関西。海外はドイツとオーストラリア、フランス、ニューヨーク、フィラデルフィアなどに上田流の稽古場があります。

ダンスで身を成し茶人となる

竹村:400年500年600年という単位で、一人ではできない単位で伝統を繋げていくお立場でいらっしゃると思うんですけれども、ご経歴を拝見して面白いと思ったのは途中でダンサーの道に入られています。これはどういった経緯でしょうか。

上田:伝統の家のご多分に漏れず、私も自分の生まれに対して素直に受け入れていたわけではなかったんです。上田家は長男しか家を継げないという家訓が残っていまして、4人兄弟で下に3人妹がいるので、生まれた瞬間から周囲のプレッシャーがすごかったです。

竹村:ご本人の意識と周囲とのギャップですね。

上田:性格もあるかもしれません。何で自分の人生が決まってるの?という疑問は10代のときからありました。14歳で元服式をやっていただいて、宗篁(そうこう)という名前は、亡くなった先代の家元と母方の父(奈良・春日大社の宮司)からいただきました。地域のニュースにも取り上げられて、当時の写真を見ると凄い不服そうで、そういう違和感みたいなのがありましたよね。その時から自分が興味があることをやりたいというのはすごくありました。17歳でダンスに出会ってからはすべてのエネルギーを費やしました。


上田:広島から上京し、26歳の時に東京でヒップホップダンサーとして名前が挙がるぐらいになって、それなりに実績を残せた自覚ができ、あと2年やったら広島に帰ろうと思って28歳で戻りました。当時は単純に好きだからやってましたが、年齢を重ねて考えてみると、伝統を継ぐ家の子が能力があってもなくても家元という位置に付けちゃうことが嫌だったんですね。周りが納得する力があって然るべき立場に立てるのであればいいんですけど。自分自身の能力がどれだけあるのかを知りたくて、ダンスを死ぬ気でやっていたのだと思います。家の仕事を受け入れていこうと思えたのは、個人の力である程度結果が出せたことで、自分自身に自信が持てたというのが1番ですかね。ダンスをやりながらも、400年続いている家を自分の人生だから好きにさせろとわがままで潰すのもどうかな?というのもありました。今はもう今の仕事を自分自身も楽しんで、大事な役割として自覚してやれてるんで、何の迷いもありません。

竹村:昔でいうと元服をすることは、すなわち戦場に合戦に出て行くということですから、それがダンス合戦だったというわけですね(笑)

上田:そもそも戦場なんて無いでしょうとその時は思ってましたから。

竹村:現代でいえば中学生、平均寿命50歳の時代と違うとはいえギャップは大きいですよね。そういう違和感も含めて、何かを成し遂げたいと突き動かされたということもあるのでしょうか。

上田:当時必死でやったことが、今にすごく活きている部分はあります。上田家も企業も一緒だと思いますが、その都度その代の責任者が創業者のつもりでやらないと継承し残り続けることは難しいですよね。約20年間、自分の名前と顔で道を切り開いていく経験をしたことは、泥もなめたし痛い目にも逢いましたし、当たり前じゃない事を知る経験ができた意味ですごく大きかったですね。広島に戻った後も、周りは上田家の跡継ぎ予定者として扱ってくださいますが、とは言えやっぱり試されているわけで。ちゃんと結果を出していくのが当たり前だということを、体感として当たり前だと思ってやれるのは良かったかなと。

上田:加えて、スポーツじゃなくダンスだったのも良かった。数字で優劣が決まるものじゃなく、総合的なカルチャーの思考回路として培ったものをそのまま今、茶の湯に当てはめて仕事をしている感じはあります。

竹村:自分が当代、創始者としてどう振る舞うのか、原点に返って今この時代この場所でどう判断するかというところで、ダンスのご経験が活かされているのかなと感じました。上田流の公式ウェブサイトも拝見いたしましたが、すごく現代風でスタイリッシュですよね。紹介ムービーとか。経験された様々な社会との接点なども活かされているのかなと感じました。

上田:これは今の仕事に戻ってきてから感じたことで、パッと見て面白そうだとわかるものは強いんですよ。ダンスはその最たる例で、ステージでカッコいい衣装を着て踊ってるだけでも成立するんです。茶の湯はめちゃくちゃ面白いんですけど、面白いんだぞと言っても伝わらない。どうやって茶の湯が持つ面白さをお茶に興味がない人たちに伝えていくか、常に考えています。ウェブサイトはその一要素でしかないですが、何事も当たり前だと思ってやってはだめで、知らない人がパッと見てわかるようなものもあると魅力は拡散できる。茶の湯を全部そうしてしまうと、それはまたちょっと違うなと思うんですけど、そこに繋げていく入り口はなるべく大きく間口を広くたくさん作っていかないといけないですよね。

楽しむ、その先の継承に向けて

竹村:400年続いてきたものを本質を変えず、一方で新しいチャレンジをしていく。様々なことを色んな方から言われる機会もあると思いますが、覚悟を持って取り組まれていることをひしひしと感じました。次世代への継承という観点で一番大切にされていることはどういうところでしょうか。

上田:10人いて10人から良いと言われるものは多分ないんですね。ダンスをやってた時もそうです。良いという人もダメだという人もいる。それに振り回されないことは大事だなと思います。自分が上田流や上田家を継承していくときに、何を軸に置いているか自覚できているかどうか。よく「あいつブレブレだね」とか言うじゃないですか。ぶれないことは凄い難しくて、同じことをやり続けてるからぶれてないというわけでもないんですね。同じことをやり続けた結果、ブレてしまったっということも往々にしてある。だから、自分がどこに軸を置いて物事を進めていくか自覚していること、そして、継承するために具体的な行動を起こすことですかね。その2つがすごく重要ですね。

竹村:今のお話は茶道というよりは、私も含めた多くのビジネスパーソンも共感するお話だと思います。判断の軸足をどこに置くのか、それはある種生き方そのものでもあると伺っていて思いました。若宗匠の場合は、以前はダンスを通じて、今は上田宗箇流という伝統のお茶を通じて、日々感じながらそれをどう表現していくのかというチャレンジをされているということですね。

上田:良し悪しはさておき、結論というかゴールは決まっているんです。上田家や上田宗箇流の文化を継承していくことです。私自身は、周囲の方が考える「あるべき像」を求められやすい立場ではありますが、それが本質かどうか、皆が求めている姿に近づくことではなく上田家と上田宗箇流を継承していくことが目的なので、家元としての理想像や振る舞いはすべて手段だと思っています。未熟なので間違えることもあります、指摘されることもあります、勉強になることもある。周囲の声は参考にしつつも自問自答していくことが重要かと思います。

上田:加えて楽しむことを大事にしたい。自分が楽しくないと皆も楽しくないので。楽しくないとだめですね。それから、伝統文化に限らず、時代を超え残ってるものには柔軟性がありますね。茶の湯の文化ひとつとっても桃山時代から変わってないかといったら変わりまくってます。情報や知識だけでなく、色んな場所へ行き人に会うことでアンテナができてくると思うので、もちろん失敗やうまくいかないときもあるでしょうけれど、その過程もしっかり楽しみながら結果を出し、継承していくということは自分自身の人生を考えた時にも大事かなと思いますね。

竹村:若宗匠、宗匠、千代先々代と、400年の時を超え想いが繋がり、さらにその先へ。そして、その想いを支えている上田宗箇流の皆さんや関係する皆さんが、相互に作用しながら今に生きるということなんだろうなとお話しを伺って思いました。

上田:繰り返しますが、楽しくないと絶対だめです(笑)。そして、伝統文化は、自分と今を生きている周りの人たちを幸せにできないとダメです。

竹村:生き方も含めてヒントやメッセージをいただいた気がします。伝統文化の次世代に繋がるお話をありがとうございました。先ほどおっしゃられたように、上田流は広島は勿論、東京や地方、海外にも拠点があると伺いましたので、ぜひご興味ある方は公式ウェブページをご覧になって門を叩いてみてください。これを見た皆さんが、伝統文化を次に繋げる一人になっていただければ、今回のインタビューが大変有意義になります。今日はお忙しい中、本当に貴重なお話ありがとうございました。


対談者プロフィール

上田 宗篁(うえだ そうこう)

1978年6月19日広島県出身。茶道上田宗箇流家元若宗匠。
2003年より4年間、東京・上野毛の五島美術館での研修のかたわら、プロダンサーとしても国内外で活躍。2007年広島へ戻り、2009年、2010年、2011年の上田流和風堂時別公開の責任者として企画を担当。現在まで多くの企画や行事に関わり、TV・新聞・雑誌等へ出演、寄稿の他、講演も精力的に行っている。
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竹村 文禅

(一社)日本伝統文化協会会長。
現代、そして未来において、伝統文化が持つ価値をどのように見出し、次代に継承していくべきか。生活者の視点、企業人としての視点で、伝統文化の価値のリブランディングを目指し本協会を設立。
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