「Evolving Tradition in Japan」は、伝統文化を担い次代に繋いでいく“人”にフィーチャーしたインタビューシリーズです。様々なジャンルの日本の伝統文化のトップランナーをご紹介していきますのでお楽しみください。
去る6月末日、東京は港区の増上寺宝物展示室にて、志野流香道二十一世家元継承者である蜂谷宗苾氏に、一社)日本伝統文化協会会長の竹村文禅がお話を伺いました。
志野流の起源
竹村氏(JCBase):比較的馴染みのある伝統文化に比べて、香道に接したことのある方はそれほど多くありません。まずは香道の起源を改めて教えていただけますでしょうか。
蜂谷氏:今から550年ほど前の室町時代、場所は京都銀閣寺。応仁の乱の後、足利義政の周辺に同朋衆という文化人がいて、その内の一人が志野流の初代です。足利将軍家にお金を貸すくらい財力があったようで、香木を集めたりしていました。香道は日本で急に始まったわけではなく、元々は中国で数千年お香の文化があり、お寺など宗教的な場所で焚かれていたものが中国から渡ってきました。それが、禅の精神や平安貴族の遊びなどと融合して香道が誕生しました。初代が、作法や精神をつくり、それが現代まで続いています。家元制度で私の父が20代目です。私は、長男に生まれたので、将来の21番目のランナーとして走っています。
竹村:香道の趣旨はどんなところでしょうか。
蜂谷:一つは香りを楽しむこと。ただ楽しむだけでなく、古今集や新古今集の歌、源氏物語、伊勢物語といった古典文学を絡めて楽しむのです。中国の漢詩、花鳥風月、有職故実(ゆうそくこじつ)、様々な古いしきたりや神事、そういったものをテーマにして、香りの遊びをする。今でいえばゲームですね。
蜂谷:大名、貴族、天皇がやっていたことで、単に楽しかったからやっていたということではなく、楽しむ他に精神修行のような側面もあって、香と向き合うことは自然と向き合うことに繋がります。香りは嗅覚ですから、鼻から取り入れるということで、身体性とも結びついています。つまり、香りを通じて自然と自分が一体化する。禅の精神と似ているかもしれませんが、自分の心、精神、人間性を香りを使って少しでも成長させていこうということです。3か月や1年でわかるようなものではありませんね。
竹村:お香の素材としての由来についても教えてください。
蜂谷:香道の香りの元は、香水などとは違います。東南アジア、ベトナム、ラオス、カンボジア、インドネシア等で取れる沈水香木(ぢんすいこうぼく)*註1 を使います。茶道であれば、お茶は毎年新茶ができるし、お花もいっぱい咲きます。ワインも毎年葡萄ができますね。香道に限っては毎年採れるものではありません。100年以上、自然の中で育ってきた木が元になっています。しかも農場を作って栽培できる物ではありません。日本国内で採れず、毎年採れず、栽培できない、三重苦です。他の文化にはない制約です。
*註1:樹木が樹脂化し凝縮した「水に沈む香りのする木」なので“ぢんすいこうぼく“という
香道を通じて自然と向き合う
蜂谷:木の一生は100年200年。屋久杉は何千年。そういう長い流れの中で、自己という存在を自分に問う。正しく生きるとは何か。香道と「道」がついている通り、自分の人生を使って問いに対する答えを見つけていく、その道程が道であり、結果的に香道になっていくのだと思います。
蜂谷:父は83歳になりました。今も朝から晩まで歌や書で自分の感性を磨いて、終日香炉と向き合っています。自分は何なのか、何が正しいのか、香りを使って今も勉強している。私は40代でまだ半分。まだまだわからない事ばかりですが、別に慌てることはなく、一段一段昇るべき道が降ってくるイメージです。慌てて近道を歩こうとすると失敗する。それは、ほかの文化とも共通する部分でしょう。
竹村:環境問題やパンデミックなど、社会の持続可能性が問題になるなか、香道が元来持っている世界観にも関心が高まっているのでしょうか。
蜂谷:サステナブルやSDGsという言葉が出てきていますが、元々私たちは香木という自然界のものを使っていて、無駄遣いもしませんし使い終わった香木を捨てたりもしません。自然に感謝することを遥か昔からやっている。わざわざ輸入した言葉を使わなくても、昔から常に自然に感謝しているわけです。それを、明治維新と大きな戦争で忘れてしまっているので取り戻しましょうと。私は日本人として、たまたま香道の家に生まれたので、それを香りを使ってやっているということです。
竹村:今のお話はビジネスパーソンにも響くお話です。
蜂谷:現代社会において、忙しいビジネスパーソンが精神的に参ってしまうこともあるでしょう。それは昔も今も同じだと思うんです。戦国時代の武士たちが、なぜ香道を嗜んでいたかといえば、立ち止まって人から離れて自然と向き合う時間が大事だと気づいたからです。微かな香りを聞き、何が正しいのか何が間違いなのか、都度立ち止まる時間があった。今は立ち止まらないから、正しい正しくないの判断よりも目の前のことをこなすことが優先される。5GだIT革命だと言いますが、情報が増え便利になって本当に幸せになっているでしょうか。スマートフォンで調べられる情報がすべてではなく、香りや目に見えないものを大事にすべき時ではないでしょうか。
蜂谷:ビジネスパーソンの皆さんも、昔の侍と同じように立ち止まって、月に一回でもいいから香を聞けば、どんな哲学書やビジネス書を読むよりも、まともな判断と心安らかな人生を送ることができる。今この時代に必要なのは香道だと私は自信を持って言えます。
500年先のリアリティ
竹村:現代は溢れた情報を処理することで精一杯で、自分はどう感じるのか、自分は何者なのか、自分は何をすべきなのかといった本来必要な内省が、情報過多と時間不足で失われてしまっているのかなと思います。一方で、現代のビジネスパーソンはクリエイティブであることを求められています。蜂谷さんのサロンに参加される皆さんはどういうところに香道の良さを感じていらっしゃるんでしょうか。
蜂谷:人それぞれですが、安らぎを求める方が多いですね。お香を聞くと心が落ち着いてストレスが吹き飛んだり、イライラがなくなったり、お香を聞いた日は熟睡できるとも聞きます。数値で計測しなくても、そういった声が多くあり500年続いている。続く理由があり続いている。
竹村:お香は61種名香も蘭奢待もありますが使えばなくなります。なくなることが逆に緊張感を生み、目に見えないことがイメージというクリエイティブな部分を刺激します。若宗匠の活動を拝見していますと、様々なコラボレーションなど大変クリエイティブなことをされていて、香りは見えないから「こそ」使えば失っていくから「こそ」という部分があるのかなと感じました。
蜂谷:大切なのは目に見えない物を大事にするということ。香りも、電磁波も、母親の子供に対する愛情も、絶対存在するけれど目に見えません。見えないけれど、優しさや暖かさをもっと世の中に蔓延させることが大事ですね。いま逆のものが蔓延しているので、どこかで歯止めを効かせて、もっといいものを広げていきたい。香りは国境を越えどこまでも漂っていくので、その空間にいる人たちを一緒に笑顔にすることができます。香りで人と人を繋げることができると気づいたんです。国と国とを繋げることもできる。
竹村:伝統の500年の力の凄さを感じます。
蜂谷:香道はこれまで500年やって来ました。これから500年やっていく、ちょうど境に私は生まれましたので、300年後、500年後もちゃんと続いていってほしい。世界が平和でなければできないので、そこに私がどう寄与できるか。実際に植林も始めています。香木になるのは千本植林して一本だけかもしれませんが、999本の緑を増やしたことになります。ミャンマーのジャングルで貧困層の雇用を産むこともできる。プランテーションを作って雇用も産める、そこで学校もできる、病院もできる。この3つは大事なんです。教育もただ学校を作ればいい訳ではなく、仏教や神道といった道徳を取り入れた学校を作りたいと思ってやっています。
竹村:普通の人は自分の一生をどう生きるか考えていますけれども、若宗匠は500年の先人たちの思いや知恵をベースに、その後500年先に向かう視座を持たれています。500年前と同じ香木を現代で聞いているというリアリティがあるからこそ、500年先にもリアリティが感じられるのでしょうね。なかなか普通はそういうインスピレーションが入ってこないと思うんです。
蜂谷:私にとってはそれが当たり前なんですよね。自分が死んだあとのことをいつも考えています。子孫が笑顔で日本に生まれて良かったと、毎日笑顔になれるように僕たち世代が命懸けでやらなきゃいけないと思うんです。
竹村:まさに生き方そのものですね。今の情報化社会に流されて、メタバースだ何だと言っていますが、そこに本質的な価値があるのか、自分自身がどういう生き方をしたいのか、そこが出発点になるのでしょうか。
蜂谷:物質の時代が終わりかけていて、もう終わっているかもしれませんね。産業革命以降、物もお金も豊かになってそれが心にも良いと思っていたが違ったと何100年かぶりに気がついた。天変地異やパンデミックもそのヒント、自然がそういうメッセージを教えてくれているんだと信じています。そこからどう生きるかを今考えるべきだと思うんですね。
>Evolving Tradition in Japan #7 蜂谷 宗苾 氏 (後編)に続く
対談プロフィール
蜂谷 宗苾(はちや そうひつ)
室町時代より二十代五百年に渡り香道を継承する志野流の第二十世家元蜂谷宗玄の嫡男として生まれる。2002年より大徳寺松源院泉田玉堂老大師の下に身を置き、2004年玉堂老大師より軒号「一枝軒」宗名「宗苾」を拝受、第二十一代目家元継承者(若宗匠)となる。現在は次期家元として全国の幼稚園から大学での講座を開催する他、パリ、ロンドン、北京など海外教場での教授、講演会も精力的に行っている。また稀少な「香木」を後世に遺していくため植林活動も行っている。文化庁海外文化交流使 フランス調香師協会名誉会員。日本ソムリエ協会ソムリエ・ドヌール(名誉ソムリエ) 日本文化デザインフォーラム幹事。
竹村文禅
(一社)日本伝統文化協会会長。
現代、そして未来において、伝統文化が持つ価値をどのように見出し、次代に継承していくべきか。生活者の視点、企業人としての視点で、伝統文化の価値のリブランディングを目指し本協会を設立。