文化財・社寺修復を手掛ける塗師の旅がらすによるコラム長期連載です。シリーズタイトルは「旅がらすの日曜日 ~社寺修復塗師の街並み散策日誌~」。様々な季節、日本各地の街並みを探訪、古の遺構にも目を向け、社寺修復塗師ならではの視点で綴っていきます。肩の力を抜いてお楽しみいただければ幸いです。
親父と海 ―愛知県 伊良湖岬―
その日は朝から生憎の空模様だった。豊橋で家族を拾い、伊良湖岬へと車を走らせる。妻と伯母が子供達を連れて愛知まで来てくれると言うので、青く澄んだ太平洋を見ながらドライブと、いくはずだった。渥美半島の名産、大あさりの丼とメロンを満喫したのも束の間、降りだした雨は次第に勢いを増し、車はまるで洗車機の中にのみ込まれたかの様なスリリングな走行状態となった。冠水しかけの窪みを、大量の泥飛沫を撒き散らし激走する。何かのアトラクションの様で、娘は喜ぶものの、前の見えないこちらは必死だ。かといって車を停める様な場所もない。雨が収まるのを望みつつ、一路岬を目指した。
そう、親父は昔、船乗りだった。
オーストラリアに行っては鉄鉱石か何かを積んで帰ってくる大きな貿易船に乗っていたと聞いたことがある。子供の頃に一度だけ横浜か川崎に停泊している貨物船を見に行った以外は、ほとんど父から仕事の話を聞いたことはない。父は僕らが生まれる頃には船を下りていて、船会社の本社勤務という一介のサラリーマンだった。当たり前の様に毎日我が家に帰って来て、当たり前の様に週末は子供と遊ぶ子煩悩な父だった。
もし父が船を下りずに乗り続けていたら、今の僕と同じように月に一度程度しか家に帰って来ない、そんな家庭の形になっていただろう。当時の父の仕事の場合、航海周期が28日だと言っていたので、まさに月に一回。今の僕の仕事の場合、現場の場所や状況によって、2、3週間に一度だったり、2、3ヶ月に一度だったりする訳だが、ほぼ国内の仕事であるため、家族に何かあった場合は文字通り飛んで帰ることが出来る。船乗りはそうはいかない。航海中のほとんどは自船の他には何もない海の上である。飛ぶことは……出来ない。
父が何を思い、船を下りたか僕は知らない。何年か前に一度だけ聞いてみたことがあるが、意外な答えが返ってきた。「退屈なんだ」と……。自動運航システムのある現代の船舶では、一度インプットしたらよほどの事がない限り特にすることがないらしい。
何て羨ましい仕事なんだ……
綺麗な星空でも眺めながら..なんて考えたが、実際はおそらくそんな楽な訳はないだろう。それなりの苦悩はあるだろうし、下りた理由は別の所にもあっただろうと思う。
そして今僕は、父と同じく二児の父親である。3才半になる上の娘は最近別れ際に泣くようになった。今回名古屋で見送った際にも大泣きしていた。ただ子供は現金なもので、妻が言うにはすぐに泣き止みケロっとしているらしい。最近大分知恵が付いてきているので、こちらの気を引くためのウソ泣きかもしれない。どちらにしても、嬉しい様な悲しい様な、胸の痛む瞬間である。
普段仕事で家族と離れている自分は、子供達に何をしてやれるだろうと、いつも考える。日頃の躾や世話は妻に任せきりであるから、今は帰った時に一緒に遊ぶことくらいしか出来ない。子供は正直で、嬉しい時には嬉しい顔をするし、悲しい時には悲しい顔をする。だから今は、出来るだけ嬉しい気持ちを知って貰う様、自分らなりの幸せのかたちを見せてやることを大切にしたいと思う。
そして今僕が父親として出来ることは、目の前の仕事を全うすること。家族と離れていてもやっていたいと思える仕事、誇りに思える仕事を持てることに感謝したい。