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Discovery Tradition in Japan #9 奥谷 禮子 氏

「Discovery Tradition in Japan」は、様々な形で伝統文化と関わりのある方にお話を伺うインタビューシリーズです。活動やその裏にある想いから伝統文化の輪郭に迫っていきます。ジャンルにとらわれずご紹介していきますのでどうぞお楽しみに。

ビジネスの荒波を支えた「一服のお茶」——「婦女子のたしなみ」から「己の軸」へ

竹村(JCBase:私どもの協会は、特に30代40代ぐらいのビジネスパーソンで仕事で忙しく頑張ってる人たちをメインターゲットにしております。本日は株式会社ザ・アールの創業者であり元会長の奥谷禮子さんにお話をお伺いします。

竹村: 今を生きる私たちにとって、伝統文化を単なる過去の遺物ではなく「いまを生きる文化」としてどう捉え、生活や仕事の中に昇華していくか。本日は、ビジネスの第一線で挑戦を続けてこられた奥谷様の足跡をたどりながら、その本質を伺えればと思っております。 まず、奥谷様が日本文化、特に茶道の世界と出会われた最初のきっかけからお聞かせいただけますでしょうか。

奥谷: きっかけは、私が生まれ育った時代の価値観が大きく影響していますね。当時はまだ「女性にとって最終的に結婚することが何より大事」とされていた時代です。良い女性になるためには、お茶やお花といった嗜みを身につけておくのが当然だと考えられていました。 ですから最初は、わけも分からないまま親に言われる通りお茶の先生のもとへ通ったり、お花を習ったりしていたのです。良いも悪いもなく「女性の嗜みとはそういうものだ」と思って受けていたのが始まりでした。

竹村: かつてのお茶の世界は、明治期などを見ても益田鈍翁(益田孝)さんをはじめとする男性の財界人が中心となって文化を牽引していましたよね。女性の嗜みというイメージは、その後の時代に形作られていった側面もあるのでしょうか。

奥谷: そうなのです。歴史を紐解くと、かつてお茶は男の人が「道を極める」ためのものであって、女性には道を極める必要がないとされていたのですね。 それが明治以降、三島通庸の奥さんたちが「女性にもお茶をやらせてほしい」と働きかけたことなどをきっかけに、女性にも広がっていきました。だから「婦女子の礼儀作法」としてのお茶の歴史は、実はまだそれほど長いわけではないのです。私自身も最初は「道を極める」なんて大層な意識はなく、身につけておくべき作法として始まりました。

竹村: 単なる礼儀作法から始まったお稽古が、奥谷様の中でどのように深まっていったのでしょうか。

奥谷: 実際に触れていくうちに、幼いながらも「すごく夢中になれるな」と気づいたのですね。この小さな茶室や道具の中に無限のものが詰まっていて、一つの『道』を表している。その構造のすごさに驚き、すっかり魅了されてしまったのです。 その後、私は仕事をはじめ、会社を設立してビジネスの世界へ飛び込みます。見積書の書き方も分からない状態からのスタート、最初は赤字続きで大変な苦労の連続でした。

竹村: 昭和の男社会の只中で起業され、想像を絶する決断とご苦労があったかと思います。そんなお忙しい日々の中でも、お茶との関わりは続いていたのですか。

奥谷: どんなに多忙を極めていても、お茶から離れることは一度もありませんでした。最初は「女性の嗜み」として義務のように始めたお茶でしたが、月に1回は必ず茶道のお稽古に通い続けていました。けれど、荒波のようなビジネスの過酷な現場を生き抜く中で、茶室で一服のお茶と向き合う時間は、いつしか自分自身を支え、揺るぎない判断をもたらしてくれる「己の軸」へと変わっていったのです。

昭和のトップリーダーたちが持っていた「当たり前の教養」と現代経営への危機感

竹村: ここ20〜30年で規制緩和が進み、女性の社会進出や子育て環境、男性の意識も大きく変わりました。社会の構造が大きく変わった一方で、「それが人間や文化として良い方向に進んだか」というと、また別の問いが残りますよね。

奥谷: 本当にその通りですね。かつての昭和の経営者や財界人たちは、自然と深い文化や教養を身につけていたのです。 誰かが会話のなかで漢詩や和歌、短歌の話題をパッと出したら、周りも当たり前のようにそれに応えて会話が成り立つ。知識としてひけらかすのではなく、教養が血肉化されていたのですね。 私も若かりし頃、堤清二さんに呼ばれて、学者や経営者が集まる食事会に同席させてもらったことがありました。そこではカントやゲーテといった哲学や文学の議論がごく自然に交わされていて、知識の浅かった私に「お勉強しなさい」と後日そっと本を送ってくださったりしてね。当時のトップリーダーたちが持っていた教養のレベルやレイヤーは、今の経営者とはまるで違っていました。

竹村: 単に知識を持っているかという話ではなく、教養が生き方やコミュニケーションの基礎として「当たり前」に存在していたわけですね。

奥谷: そう、当たり前なのです。昔は『ほほづゑ』という財界人の同人誌があって、トップクラスの経営者、鈴木治雄さんや堤さんなどが集まって、書や骨董、短歌を日常の嗜みとして交わしていたのです。旧制高校の教育でも、音楽や書道、詩歌ができて当たり前というベースの教育がありました。そういった文化的なバックボーンがなければ、一目置かれるコミュニティには入れなかったのですよ。 それに比べて、今の経営者の会話ってほとんど「ゴルフのスコア」くらいでしょう?(笑) すごくお粗末だし、文化的な話をしても乗ってこないのですね。

竹村: 書も音楽も、そしてお茶も、本来はトータルでつながっているものですよね。単なる知識ではなく、自分の美意識や軸がないと深まっていかないと感じます。

奥谷: その通りです。「なぜこれが好きなのか」という自分の美意識や軸がないとダメなのです。お茶の世界でも、一握りの小さな茶入れの中に一つの「宇宙」を見出すような深さがある。高いから良いとかではなく、自分の好みがはっきりしていることが大事なのです。 そして、この「美意識や軸」を育むためには教育が非常に重要です。私は今、渋谷区の子供たちにボランティアでお茶を教えています。お辞儀の仕方、お茶の飲み方、お箸の使い方、畳の歩き方(礼法)まで教えるのです。体験したことがないから、子供たちは「すごく楽しかった!」と目を輝かせるわけです。親が教えていないだけで、本物に触れる機会を作れば子供は素直に変わるのです。

竹村: 現代のビジネスや社会全体が「効率性」や、手軽に短時間で成果を得る「ハウツー」ばかりを求めてしまっている背景もありますよね。

奥谷: カルチャー・コンビニエンス・クラブの増田さんにもお話ししたのですが、「カルチャーをコンビニエンスにしちゃダメよ」と(笑)。インスタントに短時間で身につけようとするからハウツー本ばかり売れるけれど、お茶も伝統文化も時間をかけないと身につかないのです。死ぬまで身につかないと思えるくらい深い。軸が一つあるだけで、そこから書、歌、お花、焼き物(陶芸)、着物(染織)へと無限に広がっていくわけですから。 かつては「企業文化」を大切にし、社員の文化的な成熟を支える会社も多かった。けれどバブルが弾けてからの30年で「短期的にいくら儲かるか」ばかりになって、企業も家庭も学校も文化を教えなくなってしまったのですね。

竹村: 短期的な成果ばかりを追い求める結果、リーダーや組織の「文化力」という本質的な強さが欠落してしまっていると。

奥谷: 国の本当の強さ、国力というのは、兵器などではなく「文化力」に他なりません。歴史的な文化力やプライドがあるからこそ強いのです。国民一人ひとりが文化的な誇りや嗜みを持っているかどうかが、何より重要になります。それなのに、今の政治は国立劇場の再開発ひとつにとっても、お金がつかないからと民間資金でショッピングセンターやホテルを作ろうとしたりしている。文化の拠点に対する投資や視点が圧倒的に欠けているのが悲しいですね。 学校教育の知識なんて2割程度で良く、8割は家庭教育や本物の体験です。完食を強制するような給食指導ではなく、お箸の持ち方やお皿の置き方といった「美意識やマナーを伝える教育」へ視点を変えていくべきです。短期的な業績や粉飾に走るサラリーマン経営者ではなく、信念を持ったリーダーが必要なのです。自分自身で責任を持って立つ「自己責任」と自分の信念を持つことが、文化への理解にも繋がっていくのです。

お茶室で養う“無の集中力”——社長の肩書を捨て、自分を俯瞰する客観的視点

竹村: 日々の熾烈とも言えるビジネスの現場や過酷な意思決定の合間でも、茶道との関わりだけは絶やさなかったと伺いました。お稽古の時間が、奥谷様にとってどのような意味を持っていたのでしょうか。

奥谷: 私が周囲の経営者たちにも「お茶をやるといいわよ、すごく集中力が増すから」とお勧めしているのは、まさにそこなんです。 日常の仕事場では、決断や処理すべき案件が絶え間なく押し寄せてきますよね。けれど、一歩お茶室に入り、客人のために一服を点てる段になると、完全に無にならざるを得ないのです。 他事を考えながらでは、次の所作(作法)に滑らかに進めないのですよ。目の前の一挙一動に全神経を傾ける。その時間を持つことで、かえって仕事の判断スピードや集中力が飛躍的に研ぎ澄まされていくのを実感しました。

竹村: 一見するとビジネスから遠く離れる時間が、実は意思決定の精度を高める最高のリセットになっているわけですね。

奥谷: そういうことですね。もうひとつ大切なのは、自分の立場を一度完全にリセットできることです。 会社のなかでは「社長、社長」と持ち上げられ、自分の思い通りに物事が動くかもしれない。けれど、お茶室に足を踏み入れたら、そんな肩書は一切通用しないわけです。そこには明確な決まりやルールがあり、相手(亭主や客)が存在する。自分の思い通りには絶対にならない世界なのです。 相手への気遣いや作法を欠けば失礼になるから、良い意味で非常に緊張します。会社での「社長としての自分」とはまったく異なるルールが支配する世界に身を放り込むことで、「自分はなんて未熟で、ちっぽけな存在なんだろう」と、自分自身を客観的に俯瞰できるようになるのですね。

竹村: 日常の役割や慢心から離れ、自分を客観的視点で見つめ直す場になっていたと。

奥谷: ええ。どんなに忙しくても、その場に身を置いて客人のためにお茶を点てる。日常の場所からポンと離れて自分の置かれている立ち位置を変えることが、どれほど人間にとって大切かということです。 お茶の世界は「これで終わり」というゴールがありません。知れば知るほど奥が深く、一生かかってもマスターできない。だからこそ、経営者にとっても人間にとっても、自分を過信せず学び続けるための最高の学び舎になるのだと思います。

「守る」とは「挑み続けること」—— 千利休の革新性と「いまを生きる伝統文化」

竹村: ここまでの世界観を踏まえますと、伝統文化というものは決して遠い過去の古い遺物ではなく、現代を生きる私たちの思考やビジネスの挑戦とも深く地続きになっていると感じられます。 しかし、一般的なイメージではどうしても「伝統=過去の型を厳格に守り継ぐもの」という保守的な捉え方をされがちですよね。

奥谷: そこが一番大きな誤解ですね。伝統文化を単なる古くさい形式や守りの姿勢として捉えてしまうと、本質を見誤ってしまいます。 例えば、お茶の大家である千利休の生き様を見てみてください。彼は当時の格式張った形式や権威にとらわれず、それまでの常識を覆して長次郎に茶碗(楽茶碗)を作らせたわけでしょう? 既存の価値観を打ち破り、自分自身の美意識で新しい茶の湯の世界を切り開いた、まさに当時の「時代の革新者」だったのです。

竹村: たしかに、利休自身が当時の最先端を走る究極のチャレンジャーであり、ある種のイノベーターだったわけですね。

奥谷: その通りです。伝統文化としての茶道が500年もの長い年月を経ていまなお受け継がれているのは、ただ古い形をそのままありがたがって拝んできたからではないのです。千利休をはじめ、代々の先人たちがその時代の空気に合わせて自ら果敢に挑戦し、適応させながら変革し続けてきたからこそ、いまに生き残っているわけです。 伝統を守るということは、過去の形式に閉じこもることではありません。時代の変化や環境に合わせて常に挑戦し続けることそのものが、伝統文化を次世代へ継承していくための核心なのです。

竹村: 「守る」ということの本当の意味が、「挑み続けること」と同義であるというのは非常に腹に落ちます。それはビジネスの世界で私たちが日々向き合っている課題とも、全く同じ構造ですね。

奥谷: 全く一緒です。企業経営だって、過去の成功体験や古いやり方を守っているだけでは衰退してしまうでしょう? 時代の変化に合わせて新しい価値を生み出し、自ら変化を起こし続けて初めて企業は存続できる。 ビジネスにおける経営も、茶道における伝統の継承も、本質的な根底にあるのは「自らの美意識を持ち、リスクを恐れず挑戦し続ける」というチャレンジャーの姿勢なのです。その共通点に気づくことができれば、伝統文化は現代を生きる私たちにとって、最大の勇気と示唆を与えてくれる存在になるはずです。

「奥谷禮子財団」の挑戦——若い職人を支える「現代のパトロン市場」を創る

竹村: 本日お邪魔しているこのお宅も、玄関からお茶室、露地に至るまで、非常に静寂で凛とした空間ですね。数寄屋建築の様式を取り入れた空間づくりや美意識に、奥谷様ならではの強いこだわりを感じます。

奥谷: ここは設計段階から全部自分で考えたのですよ。網代天井(あじろてんじょう:薄く削った木や竹を交互に編んだ天井)の質感や扉の塗り、白い粉の吹き加減ひとつとっても、納得がいかなくて7〜8回は塗り直しをさせましたね。ガラス棚の厚みを取り替えさせたりもして、職人さんたちは大変だったと思うけれど(笑)。 奥には本格的なお茶室と露地(ろじ:茶室に付随する庭)も作ってあって、京都から大工さんや職人さんに来てもらって3〜4ヶ月滞在してもらいながら仕上げました。妥協のない自分の美意識が詰まった空間じゃないと嫌だったからです。

竹村: そうした本物の空間や道具と日々向き合われる中で、今年「奥谷禮子財団」を設立されました。伝統工芸の分野に焦点を当てた財団を立ち上げられた背景には、どのような想いがあったのでしょうか。

奥谷: 私自身がお茶のお稽古を続けていく中で、深刻な問題に直面したのがきっかけです。大切な棗(なつめ:薄茶を入れる漆塗りの木地容器)や陶器に少しヒビが入ったり傷がついた時、それを美しく修復できる職人さんがどんどん減っているのですね。 東京藝術大学の日比野克彦さんたちに話を聞いても、伝統工芸を志す若い人たちが大変な苦労をしていると。金箔や絵の具、土といった原材料費が高騰していて、作品を作るための画材すら満足に買えない状況にあるわけです。音楽や他の芸術に比べて、陶芸や染織、彫金などの伝統工芸に対する奨学金や助成制度は圧倒的に少ないのが現実です。

竹村: 作り手や修復する職人の手が途絶えてしまえば、どれほど素晴らしい文化も維持できなくなってしまいますね。

奥谷: そうなのです。だから財団を立ち上げて、陶芸や染織、日本画などを志す若手作家へ、原材料費(画材費)の助成金を支給する事業を始めました。 ただ、お金を補助して「作らせる」だけではダメなのです。作ったものが売れて、彼らが経済的に自立して生活できなければ、次の世代へ技術は繋がっていかないでしょう? 作ったものが売れて、彼らが経済的に自立して生活できなければ、次の世代へ技術は繋がっていかないでしょう? 昔は大名や豪商が「パトロン(後援者)」となって職人や作家を買い支えていました。明治以降は中流階級へ広がり、文化が支えられてきた。けれど今の時代、その循環が途切れてしまっているのですね。

竹村: 若い職人や作家を「作らせる支援」だけでなく、「買われて活かされるエコシステム」までプロデュースしていくと。

奥谷: その通りです。若い作家たちの作品展を開くだけでなく、周りの経営者仲間たちにも「若い人の作品を買いなさい、窯元へ行って買い支えなさい」と声をかけています。現代の成功したリーダーたちが「買い手(現代のパトロン)」となって作品を購入するサイクルを創りたいのです。 単なる点での支援ではなく、線にし、面にしていく。作ることへの助成から流通、そして市場のプロデュースまで一貫して支えていくこと。100年後の未来に本物の技術と文化を残していくために、私自身も最後までチャレンジャーとしてこの課題に挑み続けていきたいと思っています。

100年先へ「本物の体験」と「美意識」を繋ぐために

竹村: 本日は、昭和の荒波を切り開かれた起業家としての足跡から、お茶室で養われる「無の集中力」、千利休の革新性、そして次世代の伝統工芸職人を支える財団の挑戦に至るまで、大変示唆に富んだお話を伺うことができました。 最後に、これからの時代を担う若手経営者やリーダー層、そして次の世代へ向けて、奥谷様が一番伝えたいメッセージで締めくくっていただけますでしょうか。

奥谷: いまの世の中は、あまりにも「効率」や手軽に答えが得られる「インスタント」な流れに乗りすぎていると感じます。ですが、本当に価値のある文化や教養、そして人間の「美意識」というものは、時間をかけなければ絶対に身につかないものなのです。 私たちが100年先の未来に何を残せるのか。それは単なる表面的な知識やデジタルデータではなく、幼い頃からの「本物の体験」であり、一人ひとりの胸の中に根づく「文化力」なのです。 子どもたちには完食を強要するような給食指導ではなく、お箸の持ち方やお皿の置き方といった日常のマナー(礼法)や美しい立ち振る舞いから教えていくべきです。大人たちもゴルフのスコアばかりに終始するのではなく、自国の文化を学び、若い職人たちの作品を自ら買って支える「パトロン」としての粋な姿勢を持つ。そうやって一人ひとりが自分の信念を持って立ち、自国の文化に誇りを持つことこそが、本当の意味で国を豊かにしていく強さになるのです。

竹村: 時代に合わせて変化を恐れず挑み続けることこそが、伝統を未来へ継承していく唯一の道ですね。

奥谷: その通りです。千利休がそうであったように、伝統文化を守り継ぐということは、過去の形式を固執して守ることではなく、時代の変化に合わせて常にチャレンジし続けることそのものなのです。 伝統文化は、決して過去の遺物でも遠い世界のものでもありません。自分の隣にあり、自分自身を映し出す強固な「軸」です。若い人たちもリーダーたちも、もっと自信を持って自国の素晴らしい文化に触れ、学び、買い、そして世界へ発信していってほしいですね。


対談プロフィール

奥谷 禮子

兵庫県神戸市生れ。甲南大学法学部卒業。日本航空客室乗務員を経て、株式会社ザ・アールを設立。社団法人経済同友会初の女性会員に選ばれる。株式会社ローソン、日本郵政株式会社、CCCサポート&コンサルティング株式会社社外取締役などを歴任し、2022年奥谷禮子財団設立。2025年3月公益財団法人奥谷禮子財団理事長に就任。
ウェブサイト

竹村文禅

(一社)日本伝統文化協会会長。
現代、そして未来において、伝統文化が持つ価値をどのように見出し、次代に継承していくべきか。生活者の視点、企業人としての視点で、伝統文化の価値のリブランディングを目指し本協会を設立。

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