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Evolving Tradition in Japan #08 宝生 和英(ほうしょう かずふさ)氏

Evolving Tradition in Japan #08 宝生 和英(ほうしょう かずふさ)氏

「Evolving Tradition in Japan」は、伝統文化を担い次代に繋いでいく“人”にフィーチャーしたインタビューシリーズです。様々なジャンルの日本の伝統文化のトップランナーをご紹介していきますのでお楽しみください。

能楽は「チルアウト」のために生まれた

竹村氏(JCBase:「Discover Tradition in Japan」シリーズでは、伝統文化の世界でご活躍されている次世代の担い手にお越しいただいておりますが、本日はシテ方宝生流能楽師であり宝生流第20代宗家、宝生和英様にお話を伺います。

宝生氏:よろしくお願いいたします。 

竹村:本日のテーマは「時代を越える『能』のブランディングとマーケティング」ということで、いつもとは少し違う切り口で、能の楽しさや宝生流の魅力をお聞かせいただければと思っております。まず初めに、宝生さんが考える能楽とその歴史、楽しみ方を教えてください。

宝生:皆様、学校の授業で「世阿弥(ぜあみ)」や「観阿弥(かんあみ)」という名前を聞いたことがあると思います。彼らは室町時代の人で、能楽は、約650~700年ほど続く日本の伝統芸能と紹介されています。

その当時の「伝統芸能の価値」を知るには、当時の生活様式を理解する必要があります。室町時代は今よりインフラ設備が整っておらず、災害も戦も多く発生していました。そのような非常に混沌とした生活の中で生まれた芸能なので、現代的に言うと「チルアウト的」な気を鎮める役割を持った芸能が生まれました。

芸能に求める音楽性も、日本は農耕民族であったため、農作業時の等間隔に一定のリズムを刻むような他の狩猟民族とは少し異なる特徴があります。これが「能楽=眠くなる」と言われる理由の一つでもあるんですが(笑)。人間の心音に近いリズムで、昔はそれに合わせてみんなで稲を植えたわけですから、誰もが感覚的に近い音楽性を持っているのだと思います。

対して狩猟的な音楽性というのは、テンションを上げる、より変動的な音楽性と言えます。戦や狩猟の前に気分を高めるときに必要とされました。このように、能楽とは、今と全く違う社会情勢や文化様式から生まれた芸能と言えます。

竹村:「鎮める」という意味では、禅も香道も鎮める要素がありますね。

宝生:「鎮める」を語るにおいて、日本が島国であることはとても大事なキーワードだと思います。日本はありとあらゆる災害があって、しかも逃げ場がない。大陸なら移動できますが、日本は島国ですから災害や戦、病気があったら受け入れるしかないんですよね。 

一般の人々にとっても為政者にとっても、死の恐怖は非常に大きなストレスでした。ではどうするかというと、受け入れること。今のようにパーッと忘れるのではなく、きちんと受け入れるために、芸能や行事が使われていました。こういった文化が安土桃山時代の芸能や茶道、香道にも繋がっていると思います。 

600年続く能楽の歴史

宝生:再び時代を遡りましょう。戦国時代・安土桃山時代は、織田信長から豊臣秀吉、徳川家康と短期間で為政者がコロコロ変わった時代でしたが、各為政者が、変化する社会情勢とニーズに対しイノベーションをうまく掛け合わせ、文化的価値を示し続けてこれた点が強みでした。

これが、江戸時代に入りますと、戦の減少と社会情勢の安定化により、気分を高揚させるための今でいう「エンターテインメント文化」が生まれ、同時に能楽が一種の教養学として認められるようになりました。能楽自体にも今に伝わる、ややエンタメに寄った演出が加えられました。皆様がイメージされる能楽ができたのは、その後です。

幕末から明治にかけて幕府が解体されると、能楽はパトロンであった幕府や大名を全て失ってしまいます。しかし、岩倉具視が西洋視察で国劇というものの重要性を知り、日本でも何か国劇となるものはないかと、当時大正皇后にもご愛顧いただいていた能楽に着眼されました。当時は猿楽(さるがく)と呼ばれていたところを、世界に広めるべく名を改めたことから、現代の「能楽」という言葉が生まれました。そして現在に至る、というのがざっくりとした流れになります。 

竹村:今のお話だけでもキーワードたっぷりですね!伝統といいながらも、600年の歴史の中で価値や位置づけ、中身が変化しながら今日まで繋がっているのは、非常に面白いなと思います。そんな中、宝生流とはどういった特徴を持つのでしょうか? 

宝生:代々の家元を見ていくと、サブスキルを持っている家元が割と多い印象があります。例えば、家元としてのスキルに加え、武将としてのスキルや、イノベータ―としてのスキルを持つ人がいたり。そういう人が出てくると次の人は保守的になったり、そしてそれがまた繰り返されてといった感じで今まで続いて来ているので、そういった意味では保守的な面と革新的な面と両面を併せ持った流儀なのかなと思っています。 

竹村:新しくチャレンジすることと、原点にある鎮める役割とのバランスというのが面白い視点ですね。そのような能楽と、信長、秀吉、家康という時代の為政者達はどう関わってきたのでしょうか。

信長、秀吉、そして家康が愛した能楽

宝生:ここが非常に面白い視点でして、歴史を調べていくと、求められたものが時代により違うんです。

先ほどお伝えした信長の時代は、戦乱で最も混沌とした時代でしたので、死への恐怖の克服が求められました。戦というのは常に死と隣り合わせですので、死ぬのが怖いと思ってしまうと、いざ戦場で戦えなくなってしまいます。そんなとき、精神的な保険をかけておきたくなる。そこに信頼した武将の亡霊が出て来て、お経の力で亡霊が成仏するといった能楽を観ることで「ああ、もし自分が討ち死にしても、後世にちゃんと紡がれるんだ。誰かがちゃんと祈ってくれれば成仏できるんだ」と安心でき、戦場に行けるようになる。今と違ってエビデンスがしっかりしておらず、自己に投影しやすい状況でしたので、こうやって死の恐怖を克服していったんですね。 

秀吉の時代になると、今度は戦が急激に減ります。まだまだ数はありますが、統一をしたのでかなり減っているんですね。何が求められたかと言うと、秀吉という人物は自身のバックボーンをとても不安に思っており、自分の力を誇示したがっていました。そこで「こんなことができるのは他に誰もいない」と思わせるため、非常に派手で大規模な茶会を開いたり、いつでもどこでも設置できる組み立て式の能楽堂を作ったりと、プロパガンダ的に芸能を活用したのです。このように同じ芸能でも、信長と秀吉では使い方が全く異なります。

竹村:すごいですね!安土桃山時代は日本のルネサンスと言いますが、その中で能の価値が変わり、能自体も発展していったと。

宝生:そうです。家康の時代になると、戦がほとんどなくなります。というのも、軍事に係る費用を捻出させない工夫をし、諸大名が反乱を起こし戦乱の世に戻るといったことがないようにしたからです。その費用は文化で切り崩すのが一番と考え、文化競争を奨励しました。まさに「ブランディング戦国時代」の到来です、とてもクレバーですね。

昔の人は能楽をどうブランド化し売り込んだのか

宝生:能楽のブランディングやマーケティングの片鱗が見え始めたのは、秀吉の時代です。細川幽斎という人物が「謡曲十五徳」で、謡曲をやると15のいいことがあると説きました。その場に行かずして名所を知れるとか、身体や精神にいいとか。彼は当時の言わばインフルエンサーでしたので「能楽をやるとこういういいことがあるのか」と人々を感化し、能楽がブランド化されました。

家康のブランディング戦国時代では各藩が文化競争に奔走しました。例えば宝生流ですと金沢です。金沢では前田藩が町民に能楽を習わせ「謡(うたい、詞章)が空から降ってくる町」と言われるようにしたり、お酒や器といった様々な商品に加賀ブランドをつけ、土地の名産品に昇華させました。能楽も南部宝生や会津宝生といったふうに、土地とセットにして「この土地なら宝生」という売り方をしたのは、また面白いなと思いますね。

ちなみに元々加賀藩は宝生流ではなかったのですが、綱吉公との関係で宝生流になりました。ロビー活動を重視し、活発に各藩に売り込みをしていたようです。この時代の資料は結構残っておりまして、当時の家元が九州・京都・江戸と非常に広範囲に移動していた、といった記録があります。

竹村:面白いですね。優秀な能楽師を抱えることがステータス、というブランディングがちゃんとできていたからこそ、売り込みというマーケティングの効果も大きく、一座の拡大に繋がったのですね。

宝生:最近ある展示会を手伝った際に、書籍を拝見する機会がありまして。そこに「自分が宝生宗家との間を取り持って、秘曲の『石橋』(しゃっきょう、能の作品)の皆伝証をお願いしたよ」と書かれているんです。宝生各宗家とのつながりがあることや、秘曲のライセンスを発行してもらえること自体が、一つのステータスとして外交においても有利に働いたようです。

竹村:ブランディングとマーケティングが、300余年の江戸時代の間、文化を守ることにも繋がったんですね。それが明治維新を迎え、どう変わらざるを得なかったのでしょうか? 

能楽最大の危機と財閥創業者の寵愛

宝生:その風潮を作った幕府がなくなれば、もちろんその価値も飛んでしまいます。明治維新が文化にとって、一番のゲームチェンジャーだったと言えるでしょう。

宝生流もこのとき、途絶の危機に晒されました。当時の家元が一度能楽師を廃業し、米問屋を営むことになったのです。ちなみに才能はあまりなかったようです(笑)。「自分は話が得意ではないのと、お酒が飲めなかったので難しかった」と復帰後の回顧録に書かれていました。正直、時期を待つしかなかったのでしょうね。

竹村:家元が米問屋とは、驚きですね!今まではどこに行っても紹介される立場だったのに…。その後岩倉具視が日本の国劇として能楽を見出し、世界に発信するためリブランディングが行われましたが、能楽は海外の人から高く評価されたのでしょうか? 

宝生:明治におけるリブランディングについては、たとえば「猿楽」を「能楽」に言い換えるなど、彼らもすごく頑張ったと思います。海外を見据えたとき「猿」という言葉がネガティブに働く可能性を考慮し、当時の加賀藩主前田斉泰公と相談の上、近い言葉の「能う(あたう)」を入れたそうです。羨ましいくらいのマーケターの素質だなと思います。

ただ海外の人に大ウケしたかというと、それは難しかったと思います。狩猟民族・大陸・民族混在と、全く違うコンテキストの中で生きてきた人達ですから、皆がわかる訳ではない。そんな中でもアインシュタインがよく好んだといった話もあるのは、大陸に合わない独特な感性を持つ人達もいたからでしょう。有名になる方も多かったので、そういった方々に評価いただいたことは大きな自信になったと思います。

評価されたのは海外だけではありませんでした。明治の経済成長期、国内では各財閥の創業者が、能楽を仕事の中に組み込んでいくようになりました。経済成長は経済の戦争でもありましたので、岩崎家や安田善次郎といった各財閥の創業者はこの大変な時代を乗り切るため、冷静に考える時間を必要としていました。そこで戦略を考える時のクールダウンとして、能楽というツールが非常に役に立ったのです。宝生流をよくやっていた畠山一清は、部下達の頭が見えると稽古を勧めたと聞きます。能の話題により一旦頭をリセットしてから、社会を見るようにされていたのかと思います。

竹村:畠山さんは、お茶もやられていたとか。明治の財閥系の方々は、能も茶道も、鎮めることに価値を見出していたんですか?

宝生:はい。ただその後の昭和では世代間の解離が問題であったと感じています。いわゆる「キャズム」ですね。各財閥の創業者は、それぞれが自分が能楽をやる動機をちゃんと持っており、言語化もできていました。しかし後の世代では、社長に認められるために能をやっていたという人がかなり多かったように思います。動機を可視化できているからこそ価値が紡がれていくのに、なんとなくやる人達が大多数になってしまった。総じて能をやる人は増えたので、能楽師側も業績向上に甘んじてイノベーションを止めてしまった。そしてその役割がゴルフなどに変わっていったと。

竹村:ついに現代まで来ました。個人的には今こそ能楽がもう一度ハマる時期かもしれないと思っていますが、今はYoutubeなど色々なものが流行っていて、価値をどう伝えるかが難しいですよね。これについてはどうお考えですか? 

能楽のこれから―能楽は観るだけではない

宝生:今の時代は競合同士で喰い合ってしまう、カニバリズムが激しくなったと感じています。差別化は大事ですが、能楽そのものがどういった価値を持っているかを、今に合わせて再言語化する必要があると思っています。

細川幽斎が説いた十五徳の8~9割は既に他の技術に取って代わられているので、そのまま流用するのは難しいですが、新たに別の価値が生み出されているかもしれない。このように価値を可視化することはブランディングの基礎であり、とても大事です。

能楽について私が特に危惧しているのは、昨今ショービジネスとしての能楽が当たり前になっていることです。能楽とは本来、自分でやる芸能という要素が強いはずです。それが観る芸能というブランドイメージに完全に引っ張られ、単なるエンターテインメント業界への乗り込みになってしまっている。公演はわかりやすい助成金の使い道でもあるので、皆がこぞって公演ばかりやっていますが、これも「観る芸能」という印象を強めてしまっていると思います。それは果たして健康なのか。このような価値の示し方で正しいのか、実は他にも魅せ方があるのではないか、と思うのです。

竹村:能楽は観るだけではない、というのは個人的には大きな価値転換です。

宝生:我々のチームはこれらを科学的に検証している最中なので、まだ言えないこともありますが、私個人としては、能楽には仕事に優位に働く、純粋なチルアウトとしての価値があると考えています。

最近筋トレにこだわっているのですが、筋トレをしていると体の動きにすごく意識がいくようになります。実は能楽もそうで、ゆっくりした動きで少しずつ筋肉を動かすからこそ、どの筋肉がどう動いているのかを感じやすくなるんです。この価値にフォーカスすると、今までは芸術枠だった能楽がフィットネス枠でも認識され、能楽を会社として活用する方法が見えてくるかもしれないと思っています。

竹村:最後になりますが、宝生さんは能楽を次世代に繋げていくという挑戦に、今まさに取り組まれていると思います。ご自身の代で成し遂げたいことや、ご覧になっている皆さんにぜひ挑戦してほしいことがあれば、教えてください。 

彼を知り己を知れば百戦危うからず

宝生:そうですね、わたくしが大事にしたいのはエビデンスです。
「とにかく何でもやってみよう」という姿勢も大事です。ですが、自分たちが社会に対してどのように貢献できるのか、どういうシーンで役に立つのかをリサーチし、これに基づいた戦略をきちんと立てることが、今日の伝統業界に最も大事なことだと思います。

一見地味かもしれません。ですが孫子の言葉に「彼を知り己を知れば百戦危うからず」というものがあります。今を調べれば、変えるべきか否か、どう変えるべきなのかがわかります。闇雲に過去の成功にすがることもありません。

企画をされる際には、ぜひ価値を可視化するキーワードでアンケートを取ったり、マーケット調査の方の支援を仰いでいただきたい。コミュニティを絞るからこそ、マーケットをより的確に狙うことができます。

竹村:ありがとうございます。600年もの間、価値が見出された能楽。皆さんにも、ぜひ一度観る・やってみる機会を作っていただきたいですね。

宝生:その際は「何故やっているのか」自身の動機をぜひ考え、言語化いただけると嬉しいです。本日はありがとうございました。 


対談プロフィール

宝生 和英(ほうしょう かずふさ)

1986年東京生まれ。父、第19世宗家宝生英照に師事。宝生流能楽師佐野萌、今井泰男、三川泉の薫陶を受ける。1991年 能「西王母」子方にて初舞台。2008年に宝生流第20代宗家を継承。これまでに「鷺」「乱」「石橋」「道成寺」「安宅」「翁」、一子相伝曲「双調之舞」「延年之舞」「懺法」を披く。伝統的な公演に重きを置く一方、異流競演や復曲なども行う。海外ではイタリア、香港、UAEを中心に文化交流事業を手がける。2008年東京藝術大学アカンサス音楽賞受賞、2019年第40回松尾芸能賞新人賞受賞。2023年よりミラノ大学客員教授に就任。

竹村 文禅

(一社)日本伝統文化協会会長。
現代、そして未来において、伝統文化が持つ価値をどのように見出し、次代に継承していくべきか。生活者の視点、企業人としての視点で、伝統文化の価値のリブランディングを目指し本協会を設立。

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