今回から、文化財・社寺修復を手掛ける塗師の旅がらすによるコラム連載をスタートしました。シリーズタイトルは「旅がらすの日曜日 ~社寺修復塗師の街並み散策日誌~」。様々な季節、日本各地の街並みを探訪、古の遺構にも目を向け、社寺修復塗師ならではの視点で綴っていきます。肩の力を抜いてお楽しみいただければ幸いです。
愛知県岡崎市。
一見すると何の変哲もない地方の中核都市。国道が交差することから交通量も多く、昼夜問わず緊急車両のサイレンが鳴り響く。時代錯誤の一人暴走族が夜な夜なうなりをあげ、窓を開けて眠りに就くことは出来ない。歴史的遺産を景観として多く残す城下町も数あるなか、ここ岡崎はその遺産があまり目に入って来ない。住人すら見過ごす、街のあちこちに隠れ埋もれたそれらの遺構を探し出すのもまた妙味。マニア垂涎の街かもしれない。
天正18年(1590)関東移封を命ぜられた家康に代わり、岡崎に入った田中吉政が大規模な城郭の整備を行い総構えの岡崎城とし、この城下町の基礎をつくったとされる。城の南、乙川のさらに南を通っていた東海道を城下に引き入れ、二十七曲りと云われる屈折の多い道を造った。
観光マップなどでは、より多くの商家や職人を集住させるためとある。もちろんそれもあるだろうが、東に家臣団、西に商人や職人を住まわせるなど城郭の東側の守りを堅固にしていることから、吉政が家康を恐れ、東からの攻めに備えてという理由がより大きかったことが伺える。その吉政の造った総構えの大外、かつての田中堀に沿って城下の北西から東の中央玄関、籠田総門まで遺構を探し歩いてみた。