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「基礎から楽しむ浮世絵の世界」に参加してきました

「基礎から楽しむ浮世絵の世界」に参加してきました

喜多川歌麿、東洲斎写楽、菱川師宣、鈴木春信、そして葛飾北斎……
作者の名前とどんな絵かは何となくわかっても、その背景まで掘り下げて興味を持ったことはこれまでありませんでした。そこで今回、通称「景山塾」で浮世絵について教えて頂きました。

参加イベント:2019/4/23(火) 江戸絵画講座第2回 『基礎から楽しむ浮世絵講座』

題材

浮世絵は現代の映像系デジタルコンテンツの領域とほとんど同じです。これまで私は漠然としたイメージで、その時々の流行り物が画題になっているのだと思っていました。しかし講義で振り返りながら整理していると、実は「身の回りのすべて」が庶民の興味や知的好奇心の対象であったことに気がつき、これは同時代の世界中稀に見る識字率の高さに代表される江戸庶民の教育水準の高さや教養の深さからくるものなのだということを改めて感じました。
では、題材を見ていきましょう。

まずは美人絵、役者絵、武者絵、相撲絵。作品は枚挙に暇がありませんが、これらは今も変わらない人気の題材です。

お次は社会風刺などを扱った戯画。先程の武者絵も秀吉や信長以前の題材しか出版が許可されなかったそうですから、様々な面で当時も為政者の思惑に対する庶民の不満はあったことでしょう。そのはけ口や皮肉、他にも落書きや漫画のように様々なものが含まれているとのこと。

さらに江戸時代には五街道などの交通網が整備され庶民の間にもお伊勢参りに代表される旅行ブームが巻き起こり、富嶽三十六景や東海道五十三次といった名所絵が流行します。

他には幽霊。当時も一枚の絵を題材に、年末あたり学問所の先生と瓦版屋が「幽霊はいるのか」という熱い論争を繰り広げたかもしれません。
そして芸術には必ずつきものの「あぶな絵」や「春画」。大らかな題材で笑える作品もなかなか多いようです。

紙のサイズ

ご存知の通り皆さんが現在使っている紙は、A0やB0を基準として半分に折りながらA1、A2、A3、と小さくなっていきます。同じように江戸の当時も大奉書を基準として大判、中判、小判、または大短冊、中短冊、小短冊と類似の考え方に基づいた規定があったことは驚きでした。この考え方がいつ頃からあったのか、気になるところです。

【印刷と出版】

絵の技術的な分類として「肉筆画」と「木版画」があります。肉筆画は富裕層の注文に応じて描かれた一点ものということで、当日先生にお持ち頂いた役者絵(明治期)は、髪の毛など細部まで非常に細かく描き込まれた素晴らしいものでした。 対して木版画は肉筆画に手が出ない庶民の間に、浮世絵を爆発的に普及させていきました。そして木版技術の発達は多色刷りへの挑戦の歴史でした。


当初、浮世絵は「墨摺絵」という黒一色の木版画で、本の挿絵を印刷する技術の転用だったようです。これは17世紀後半頃まで続いたようです。その後、これに筆で赤色を入れた「丹絵(鉱物顔料)」、「紅絵(植物性染料)」が作られますが、次第に筆による彩色作業が赤色の版木に置き換わっていくことで「紅摺絵」へと進化します。そして18世紀末、ついに複数の色板(版木)を用いた多色刷りの錦絵の技法が完成します。1枚の原画から複数の色板を彫り、ずれることなく摺り上げていく技術は感嘆です。

これら浮世絵の制作や出版には原画を描く絵師の他、版木を制作する彫師、実際に絵を刷る摺師の分担作業で行われ、これらの職人を取りまとめる出版社やプロデューサーにあたる版元がいたとのことです。

特に版元は流行を創り出す立場として、絵のモデルとなる町娘のスカウトなど、コンテンツ発掘のため広告業界や芸能事務所のようなこともしていたそうです。中でも役者の大首絵で有名な東洲斎写楽は近年の研究で、版元の蔦屋重三郎が仕掛けたいわゆる期間限定企画の可能性が高いとのこと。これも現代のブランディングビジネスに通じるものを感じました。

いつの時代も文化は上流階級や富裕層で生まれ、そこから形を変えながら庶民に波及していくものです。浮世絵も富裕層の肉筆画から庶民に摺絵が広まり、さらに色数が増えていきました。その背景には技術革新とともに物流や経済が一層発展し、さらに平和な時代が続いていたことを物語っています。

浮世絵、世界へ

こうして日本国内で大ブームを巻き起こした浮世絵は、刷り損じなども含めてついには梱包材に使われるほど巷間にあふれます。ネットショッピングで、届いた段ボールの中の丸めた新聞紙、あの状態です。平安時代には「枕草子」の名の如く、とんでもない貴重品だった紙が庶民の生活に浸透したわけです。

そんな中、浮世絵は伊万里や有田で製造された輸出用陶磁器の緩衝剤に使われてヨーロッパに渡っていきます。これが契機となり、19世紀に流行したジャポニズムの中で当時のゴッホ、モネ、マネ、ドガ、シャガール、ルノワール、ピサロ、ゴーギャンといった若き画家たちに影響を与え、後に彼らは印象派の代表的な画家として大成します。江戸の作者や版元たちは1枚数文の絵が江戸の庶民以上に異国の芸術家を驚愕させ、ついには200 年後、彼らの絵がオークションで何億ドルのもの値がつくことになるとは夢にも思っていなかったことでしょう。

ちなみに緩衝剤として使われた歴史にインスピレーションを得て「浮世絵プチプチ®」という洒落た気泡緩衝剤も発売されているようなので、透明で味気ないプチプチに飽きた方はいかがでしょうか。

Conclusion

私はこれまで浮世絵については、漠然と「庶民の娯楽」と捉えていましたが、今回の講座を通じて改めて江戸時代の技術や経済の発達、そして飽くなき庶民の美や知識に対する飽くなき欲求や好奇心を知ることができました。しかし丁寧に紐解いていくと、実は現代のデジタルコンテンツと何ら変わらないもので、スマホやタブレットは結局、紙の進化形に過ぎないのだと感じました。

開国の折、日本を美の玉手箱と評した外国人がいたそうですが、外国人コレクターも多い現在、もっと日本人が注目し、興味を持っていくべきジャンルであると思いました。

本ページで使用している画像は、メトロポリタン美術館のデジタルライブラリから引用させていただいております。

書いた人

garakuta
古美術と美食を愛するコテコテの理系。
日本文化を知れば知るほど謎が深まるため、休日は美術館を奔走する。
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