文化財・社寺修復を手掛ける塗師の旅がらすによるコラム長期連載です。シリーズタイトルは「旅がらすの日曜日 ~社寺修復塗師の街並み散策日誌~」。様々な季節、日本各地の街並みを探訪、古の遺構にも目を向け、社寺修復塗師ならではの視点で綴っていきます。肩の力を抜いてお楽しみいただければ幸いです。
先日、大事な仕事道具の一部を失くしてしまいました。(写真の刷毛は参考写真)
思いの外手間取った上塗りを終え、我慢していたトイレに駆け込みました。その際、トイレ脇の石の上にその日使っていた漆刷毛4丁(3寸、2寸、1寸2分、5分)が入った袋を置きました。辺りは真っ暗だったこともあり、疲労と開放感からか、迂闊にも刷毛をその場に置き忘れました。
漆刷毛のはなし
明くる朝、冷凍庫に刷毛をしまった記憶がなかったので、慌ててトイレ脇を見ましたがありません。誰かが拾ってくれたのかと尋ねてみるも見つかりません。いつものようにラジオ体操をして、現場に向かい二礼二拍手。顔を上げたその先にふと目を遣ると、小屋の屋根上に刷毛らしきものが……
すぐにカラスの仕業だと気付きました。落ちていたのは1寸2分の刷毛一本。他の刷毛はジップロックごと消えていました。カラスは春の巣作りの時期になると、ホウキやハンガーなどをベランダから持っていってしまうことはよくありますが、おそらくたっぷり付いた漆の匂いに、食糧と思い持っていったのだと思います。カラスには貯食という習性があるらしく、余った食べ物を木の穴や石の陰に隠す様です。都心では室外機の陰や植木鉢の中に隠したりします。周辺の屋根の上やカラスが集まっている裏山まで探しましたが、見つかる筈もありません。
漆刷毛は適度に脂の抜けた人毛を糊漆でとき固めた毛板を檜の薄板で挟み込んで作られます。本通しと呼ばれるものは鉛筆の芯の様に先から尻まで通しで毛板が入っていて、毛先が傷んできたら新しく切り出し、叩きほぐして使うので、一本で数年数十年使える一生モノなのです。それを巾毎、色毎に数本、数十本持ち歩きます。今は作れる人も少なく、材料の調達やかかる手間暇から、高価なものだと巾広のものは30万位したりします。今回失くした刷毛はそこまで高価なモノではありませんが、それでも全部で五,六万程、今は作り手のいない関西系の刷毛も入っていたのでそれなりに痛手です。
仕込みかけの刷毛をすぐに仕込まなくては……
自業自得とはいえ実に間抜けな話です。刷毛の作り手さんにも申し訳なく思います。本当にカラスが隠したのであれば、見つかることもないでしょうが、いつかひょっこり出てくる様にカラスの神社にお参りでも行こうかな。