自粛期間中、宝生流シテ方 佐野登師が能の演目の解説を日々発信してこられました。「能」が発信するメッセージを少しでもお伝えできればとコラムにさせていただきました。
邯鄲の夢
「邯鄲の夢」「一炊の夢」という故事があります。これをもとに作られた作品が、能「邯鄲」(かんたん)です。中国の悩める青年、盧生(ろせい)が、尊い僧に人生の相談に向かう途中に立ち寄った宿でのお話です。粟の飯が炊けるまで、宿の女主人から不思議な枕を借りて昼寝をします。すると勅使が現れ、帝位を盧生へ譲ると言い、王宮へ連れて行かれます。時が過ぎ、帝位50年の祝宴で自らも舞を舞っていると、いつのまにか周りの人々は消え去ります。粟の飯が炊けたと起こされ、目が覚めるともとの宿です。そこで盧生は気付きます。50年の栄華も粟の飯が炊ける間の一炊の夢。この世はすべて儚い夢の様な事と悟る。というストーリーです。
メッセージ
能の見方の大事な事は、だからあなたはどう生きますか?という問いに自分の答えを出す事、考える事だと思います。
私は、生きれば生きるほど、楽しい事、嬉しい事、素晴らしい事、凄い事、嫌な事、辛い事、腹が立つ事、数々の体験をし、もっともっといろいろな場面に触れたいと思い、生きています。
通常の演出ですと、ワキの役は現実に生きている人間として登場するのですが「邯鄲」では夢の中で生きている人物として登場します。
畳一畳分の台のスペースで舞う「楽」は難しく、舞の途中では一瞬足を踏み外す演出があります。これが現実ではない夢の一場面を表現しています。夢から覚める直前に台の上に飛び込み、寝ている姿勢に戻るなど、普段ではない表現をします。
以前、中島みゆきさんの「夜会」に出演した時、私のセリフに「一生は短い 何かできると思う間があって 何でもできると思う間があって 何にもできないと思う間があって 何もしない間に一生が終わる」というのがありました。残りの人生、後悔しない様に生きていきたいです。
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ご紹介
能楽師・佐野登師は、能楽師として第一線で活躍する一方で、能を使った教育や地域活性化の取り組みを精力的に展開されています。小山龍介氏との対談『佐野登の能からのインスピレーション』でも興味深いメッセージを発信されています。
佐野 登(さの のぼる)
能楽師シテ方(宝生流)
一般社団法人 日本能楽謡隊協会 代表理事
重要無形文化財総合指定(能楽)保持者。(社)日本能楽会及び(社)能楽協会会員。
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