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旅がらすの日曜日 ~社寺修復塗師の街並み散策日誌~ 愛知県 豊田市足助町(前編)

旅がらすの日曜日 ~社寺修復塗師の街並み散策日誌~ 愛知県 豊田市足助町(前編)

文化財・社寺修復を手掛ける塗師の旅がらすによるコラム長期連載です。シリーズタイトルは「旅がらすの日曜日 ~社寺修復塗師の街並み散策日誌~」。様々な季節、日本各地の街並みを探訪、古の遺構にも目を向け、社寺修復塗師ならではの視点で綴っていきます。肩の力を抜いてお楽しみいただければ幸いです。

ひょうたんころりん たんころりん ―宿場町足助(あすけ)の挑戦―

豊田市の山間、岡崎から足助街道(県道39号線~)を巴川沿いに上って行くこと30km。現在の国道153号線から少しだけそれると、いつの時代にかタイムスリップした様な町並みに出会う。
愛知県豊田市足助町。ここはかつては独立した町だった。香嵐渓という紅葉の名所として知られ、秋には多くの観光客を集めるが、旧い町並みの方に足を踏み入れる観光客はほとんどいない。
江戸時代から明治、大正にかけ、名古屋・岡崎と信州を繋ぐ物流の中継基地の役割を果たし、宿場町、商都として繁栄の一途を辿った足助。飯田、伊那へと続く飯田街道(伊奈街道)は塩の道と呼ばれ、その終着を塩尻と言った。明治の終り、中央線全通により、中継地としては衰退するものの、周辺山村の政治経済の中心地として、昭和初期頃のこの辺りでも、岡崎に次ぐ人口を抱えていた。むろん当時、今のトヨタ中心地など、何もない野原だった。
では何故こんな山奥の小さな村がそれほど栄えたのだろうか。偶然立ち話をした郷土史家の方が色々と話してくれた。本人曰くただのおっさんとのことだが、とてもただ者ではなかった……足助にまつわる様々な謎を探っている内に、この町の魅力にとり憑かれ遂には大阪から移住し、かれこれ数十年というから足助の中でもちょっと知られた存在だ。
彼が言うには、江戸時代、関所を設け通行手形を必要とした中山道や日光街道などの五街道に対し、この飯田街道は手形を必要としなかった。言ってみれば、女だろうがクスリだろうが何でも運べた。飯田、静岡、岡崎、名古屋、さらに道を継げば美濃にも出られるちょうど分岐点なのである。故に宿場町として、同時に歓楽街も栄えた。明治、大正の最盛期には宿屋、料飲店等を含めた揚置数は35軒、数十人の芸者が居たという。その名残りは今でも多くの建物で見受けられる。また大正2年頃からトラックが走っていたが、当時のガソリンスタンド(燃料店)も往時の姿を残している。
そんな足助の町も、戦後豊田市の目覚ましい発展を横目に、過疎化、トヨタへの人口流出も増え、時代に取り残された恰好となり、平成17年、遂には豊田市に編入合併となった。足助の景勝地香嵐渓は実は大正から昭和にかけ町民の勤労奉仕により全面整備し造られたものであるが、近年の昭和の低迷期にはまちづくりの最大要素として町並み保存が必要となり地道に続けてきた。

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